市比売神社
京都市下京区河原町五条下ル一筋目西入ル
交通
河原町五条 南へ200m 西入る mapfan
鳥居
祭神
多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、多岐都比賣命、下光比賣命、神大市比賣命
合祀 鹽椎神、應神天皇、菅原道眞
由緒
『金光寺縁起』によれば、延暦十四年(795)宗像大神を東市屋に勧請し、市姫大明神と号したとある。東市屋は堀川西で現在地とは違う。
『為頼朝臣集』には、「今の左大弁の御子の五十日におぼわりごの蓋に市姫のかたちなどかけるところに」として「市姫の神の忌垣のいかなれや商物に千代を積むらむ」と云う歌が載る。平安末期には生後五十日の赤子にこの社で餅を買い与える習俗があったと云う。五十日百日餅と云う。
別に当社の神を素盞嗚尊の婦なり。大年神と倉稲魂なり。とあり、近世には商売繁盛。現在は婦人の厄除けの神として参詣者が絶えないようだ。
社殿
『日本民俗学大系8』信仰と民族 から一部を
延暦十四年(798)藤原冬嗣によって東西の市に宗像の三女神(市杵島姫、瀛津島姫、湍津島姫)を祭ったのが文献の上では最も早く、また市の神々を女性神として市姫とも称したことは、古歌に「市姫の神の忌垣のいかなれや、商物に千よを積むらん」と詠まれたのからも察せられる。
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たたずまい
堀川の西から当地の金光寺境内への移転は天正十九年(1591)のこと。寺は最近近代的建築に変わりつつあるが、まさにビルの中の神社かと思わせる門構え。入って見るとビルの中庭のような所が神社の鎮座地、合理的な鎮座の仕方のようだ。
境内に天真名井の水を汲める場所がある。産湯に使う風習があったようだ。
本殿
お祭り
5月 13日、11月 13日 大祭
京都山城寺院神社大事典(平凡社)、境内掲示
物部氏ホームページ
京都山城の神々
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