神牛石神社
京都府久世郡久御山町佐山双置64

鳥居


交通
バス佐山下車 南に100m ゼンリン

祭神
神牛石

由緒
 往古、羽栗郷あるいは狭山荘と呼ばれた佐山は今も東南部に大化改新による条里制地割を残している。また中世には周囲に濠をめぐらし竹藪を植えて村の防備とした環濠集落であった。
 この古集落の地に祀られる神牛石はもともと椏本八幡宮(雙栗神社)の神宮寺であった三福寺の庫表に安置されていた。文化九年(1812)に記されていた「神牛石縁起」によると「牛の形をした黒石は神代の遺物であって寛保二年(1741)三福寺の境内の蓮池より十三重塔と共に掘り出したもので、天下に異変のある時は、この石より汗の如く水が滴たり落ちる」と伝えている。
 明治初年の神仏分離で三福寺が廃され、神牛石を御神体とする神牛石神社が建立された。春秋23日(3月9月)の祭祀は農耕牛、乳牛を飼育する農家で作る神牛石講が司り、近郷近住の牛も集まって来て社境内は露店も出て賑わっていたという。近年牛の飼育がなくなって講は解散した。現在は神社の祭祀は佐山自治会によって継承されている。(境内掲示)

社殿

お姿
 曹洞宗大松禅寺の門前に鎮座する。
 灯籠には愛宕大権現の文字が見える。
 『京都・山城 寺院神社大事典』によると、「神牛石は天喜元年(1053)浄福寺を創建した仁海の感得によって出現し、寛元元年(1243)叡尊によって堂宇が建てられたと云う。その後、三福寺境内の蓮池に沈んでしまった。天正年間(1573〜92)中良元が夢告によって池中より掘り出したと云う。
 また日本には赤・白・黒の三種類の神牛石があり、一つは上野国、一つは琵琶湖中にあり、当社の神牛石はそのうちの黒石であると云う。

お祭り  3月 23日 9月 23日 祭礼

『京都・山城 寺院神社大事典』

京都山城の神々

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