栗栖神社
京都府相楽郡笠置町笠置栗栖43

鳥居


交通
JR関西本線笠置駅 南側すぐ its-mo

祭神
菅原道真
摂社 秋葉神社、八幡神社、恵比須神社、白大夫神社・老松神社、筒井神社、神明宮、久世神社、枚岡神社、若宮神社

拝殿

由緒
 昌泰年間(898〜)醍醐天皇、笠置に行幸あり、道真公右大臣として天皇に滬従、居をこの所に定めんと発願す。
 明治十六年京都府の神社明細帳には当社天満宮は筑紫に於いて菅真公自ら彫刻されたお姿を延喜二年に此の地の祖先筒井喜久治と申す者へ贈らせ給へるを密かに塚を築き仮殿を設けて尊敬せるを承平元年(931)二月三日今の社地に鎮座せらると書かれています。
 太宰府より天満天神宮の社号を賜り文道の太祖風月の本主と仰がれ雪除、厄除、災害除その他諸々の産業守護神として信仰あつく御神徳洵にあらたかであります。(社頭由緒書きから)

本殿
 

たたずまい
 笠置駅前には後醍醐天皇が笠置山に立て籠もり北条方との戦をしたのだが、その元弘の乱のシーンが飾られている。

駅前


 神社には相当長い石段を登って行く。駅からの道は裏道のようで、手水舎の反対側に出る。

 社殿は朱色のきらびやかな建造物。

 白砂川が木津川に合流する西側の丘の上に鎮座している。栗栖の社名ないし地名は物部の一族にも見られるがもう一つは九頭からの転訛も考えられる。白砂川を遡ると奈良県広岡町になるがここに九頭神社が鎮座、さらに遡って行くと下狭川町にも九頭神社が鎮座している。当社も九頭神社に被せた天満宮だったのかも知れない。摂社に久世神社がある。

お祭り 10月 16日

栗栖天満宮の由緒

 此の神社は菅原道真公をお祀りしています。昌泰年間醍醐天皇笠置に行幸あり。道真公右大臣として天皇に付従い居を此のところに定めんと発願す。明治16年京都府の神社明細帳には当社天満宮は筑紫に於いて菅公自ら彫刻されたお姿を延喜2年に此の地の祖先筒井喜久治と申す者へ贈らせ賜へるを密かに塚を築き仮殿を設けて尊敬せるを承平元年2月3日今の社地に鎮座せらると書かれています。太宰府より天満天神宮の社号を賜り文道の大祖風月の本主と仰がれ雷除け・厄除け・災害避け、その他諸々の産業守護神として信仰あつく御神徳まことにあらたかであります。笠置の歴史を物語る貴重な文化財である。
   以上

京都山城の神々

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H17.11.9