室城神社
久世郡久御山町大字下津屋小字室ノ城98-1

鳥居


交通
木津川大橋を渡り南東に500m ゼンリン

祭神
瓊々杵命、須佐之男命、大雀皇子命、迦具土之命

拝殿・本殿

由緒
 明治六年に久世郡の延喜式内社に治定された。
 『久世郡祭神記』によれば、神亀年間(724〜29)大洪水があり、民衆の飢えがひどくなった時、聖武天皇の勅によって、天神地祇をこの地に祀ったのに始まると云う。『神名帳考証』は、室城とは室樹のことで、榎室連の祖神を祀ったとも云われる。
 木津川の対岸の水主神社の摂社にも室城神社があり、明治初期には式内社とされていた。そこからの勧請社の可能性も棄てきれない。

境内風景

お姿
 木津川の堤防の下に鎮座している。境内は広くはないが社殿や摂社に囲まれた広場があり、その周辺には松、樫、楠、桜、杉など多種の樹木が植えられている。

お祭り  10月 9日 例祭

『平成祭礼データ』
室城神社の由緒

 口碑によれば、今を去る約1250年昔の聖武天皇の神亀年間、近国に大洪水あり。民飢え、勅して天神地祇をこの地に奉祀せしめ給うた。同天皇の御世、悪疫流行あり。当社にその退散を御祈願、弓矢を御献奉あらせられた。今に伝わる当社の春祭は、この勅願が起源といわれ、弓矢を像った特殊神饌が供献される。その後、南北朝の兵戦により神事は一時中断した。
 また今から約350年以前の寛永七年、木津川の堤切れにより、当社の壮大な社殿は諸記録と共に流出した。その後再建された社殿は、規模が縮小され、今なお仮殿であるといい伝えられている。
 明治六年村社に列格、同十年延喜式内社(今を去ること1074年昔の延喜五年の勅命により編纂去れた。延喜式に神社名が記載され、当時官幣または国幣にあずかった神社)と決定された。昭和二十八年、神社本庁包括の宗教法人となる。
以上

『京都・山城 寺院神社大事典』『式内社調査報告』

京都山城の神々

神奈備にようこそにもどる

H21.4.7