齋宮神社
京都市右京区嵯峨野宮ノ元町34

交通
嵐山 大井川北側の三条通りを東へ15分its-mo

鳥居と社域

祭神
天照大神

由緒
   
 神明社とも言う。創立年代は不詳。 伊勢神宮に奉仕する斎王となる皇女が有栖川の近くに野宮を建てて潔斎し籠もる旧跡。
 寛文年中(1661〜73)以前には野宮として巡検使が毎年来たが、村人の負担が大きいため、「野宮ニ非ズ。」と言うことを認めさせ、神明社と称したと言う。
 婦人の血の道の守護神として崇敬を受けた。

 葛野月読神社の旧地の歌荒樔田と候補地の一。

拝殿

たたずまい
 大きくはない社域で瀟洒な感じの神社。 手入れは行き届いている。

本殿

お祭り

  10月17日に近い日曜日 例祭

『平成祭礼データ』

 口碑によれば、当地は垂仁天皇の第二皇女で初代の齋宮として、天照皇大神のご神体を奉じて各地を巡歴し、ついに伊勢にこれを鎮祭して神宮を創祀せられた倭姫命の別荘のあったところである。そのため命の薨去後、里人が祠を建てて天照皇大神を勧請したという。齋宮は土御門天皇の御代まで41代続いたが、この地は齋宮がみそぎを修せられた所であるという伝えもある。

 嘉栄元年(1848)の棟札によれば、往昔この村で初午講が行なわれた時、当家から出火して村内全焼し、当社の古記録も悉く消失したが、社殿は安泰であった。しかし寛文年中に破損したので改築、同9年(1669)11月20日遷宮を奉仕した。その後180年を経て嘉永元年改築、玉垣も新造し9月16日遷宮したという。現に寛文9年の棟札も社蔵している。

 昭和30年12月16日現在の社殿に改築した。

 (付記)「生田」(おいだ)地名の由来は、齋宮神社の馬場の松並木の小枝が風にゆれるさまから小枝村と称したのが転訛したという。
 以上
 

京都山城寺院神社大事典(平凡社)

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H16.10.6