賀茂御祖神社(かもみおや)
下鴨神社

京都市左京区下鴨泉川町59 its-mo

二の鳥居と糺森


交通
市バス下鴨神社、京阪出町柳


祭神
賀茂建角身命、玉依媛命

摂社の内の式内社、論社
井上社「瀬織津姫命」式内社出雲井於神社論社
河合神社「玉依姫命」式内社須波神社論社、式内社鴨川合坐小社宅神社
三塚社 式内社三井神社論社
三井神社(3社)「賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命、玉依日賣命」式内社論社 、式内社須波神社論社
出雲井於神社(2社)「建速須佐乃男命」式内社出雲井於神社論社
御陰神社「賀茂建角身命、玉依媛命」式内社出雲高野神社論社
賀茂波爾神社「波爾安日子神、波爾安日女神」式内社賀茂波爾神社論社
愛宕社「火産靈神」式内社末刀神社
三井社「賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命、玉依媛賣命」式内社三井神社論社

その他摂社群から 言の社(7社)「大國魂神、顯國玉神、大國主神、大物主 神、大己貴神、志固男神、八千矛神」

楼門




由緒
 賀茂建角身命とは金鵄・八咫烏とされる。葛木の賀茂氏の祖神との説がある。賀茂氏の山城への移動に伴い、遷座をしたと伝わる。しかし、葛木の鴨は国津神、山城は天津神、同じ氏族の祖とは思えない。
 玉依媛命は、賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)の祭神「別雷神」の母神である。 玉依媛の名は玉に寄りつく媛神と言う普通名詞である。鵜葺草葺不合命と結婚し、神倭磐余彦(神武天皇)の母となった比売神も玉依比売である。同じ名前であるが、同じ神ではない。 地域の支配者の娘などが巫女になった場合など、この様に呼称したとも思える。
 
 かってはくらべ馬と言われる競馬祭があった。この為に、参道は直線で長い。秦氏か鴨氏の大陸の習慣が持ち込まれたのであろう。
 山和葛城では一言主神社に競馬があった。崇神イリ王権が大和に確立され、開化王家は山城に亡命したとされるが、この時に葛城の鴨氏も同行したのかもしれない。

 

たたずまい
 西の賀茂川、東の高野川の合流点の糺森に鎮座する。この森からは弥生時代 の住居跡や土器が発掘されている。平成6年世界文化遺産に指定された。 摂社の御陰神社の鎮座する御陰山が神奈備山。


左舞殿、正面は拝殿


西本殿(賀茂建角身命)、東本殿(玉依媛)


三井神社 向かって右から伊賀古夜日売命、賀茂建角身命、玉依日売命


葵の庭 水ごしらえ場(パワースポット)
 


大炊殿の料理 井戸
 




お祭り
 5月15日 1日間 賀茂祭(葵祭)




出雲井於神社

 井泉を祀る神社は大阪には摂津島下の井於神社、和泉の泉井上神社がある。 下鴨神社とは系統を別にする神社であるが、賀茂祭祀圏に取り込まれてしまった 産土神。





河合神社 

方丈記の鴨長明にゆかり。小社宅[おこそべ]神社が正式名。只洲社とも記す。 秦氏の奉祀する神社であったと言う。鴨氏が秦氏の婿となり、祭祀権を譲られたという。糺の森は秦氏の河合神社の森であった。秦氏の松尾大社、元糺の森の木島坐天照御魂神社、糺の森の河合神社、比叡山四明岳が一直線で、夏至の日の出の方向を指していると言う。*1





*1日本の神々5「大和岩雄」(白水社)
京都山城寺院神社大事典(平凡社)

公式下鴨神社
京都山城の神々

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