滝尾神社
京都市東山区本町十一丁目

西の鳥居


交通
京阪東福寺 東北すぐ its-mo

祭神
大国主神

南の鳥居と拝殿

由緒
 藤森神社の御旅所となっている。
 創建時期は明かではないが、洛東聾谷にあり武鵜社と称していた。秀吉が方向寺大仏建立の時に現在地に遷座したと伝わる。
 京の豪商下村家の崇敬を受け、天保十年(1762)など歴代に渡って、造営・修復などを寄進してきた。現在でも大丸の寄進があり、大丸を描いた扁額も残っている。

本殿
 

お姿
 南側の鳥居を入ると左手に遙向石がある。承安四年(1174)源義朝の子牛若丸が当社に参籠、平家追討の祈願をしていた時に、暁に至って夢の中に白髪の老翁が現れ、「汝、速やかに奥州に下る可し。」と告げ、消えた。
 牛若丸は肝に銘じ、夢より醒めて再拝し、翁が立ちし場所を見れば、この石があった。

遙向石

 この石をさわっていくと男児を授かると伝えられる。秋篠宮夫妻が平成六年頃お忍びで参詣、境内に鎮座のお授けの神である三嶋神社と遙向石にお詣りされたと云う。その後十年、男児を懐妊できる状態になり、皇孫の誕生を見た。

 この石はギザギザに尖っており、真夏の太陽が当たっても熱くならないと云う。フグリの現象だろう。それが男児につながったのか。

三嶋神社

 祭神は大山祇命、火瓊瓊杵尊、木花咲耶姫。摂津国三嶋鴨神社を勧請したと云う。東山区上馬町から遷座して来たとする。

 三島神社の摂社の妙見宮も当社内に遷座している。祭神は天御中主神。神功皇后が渡韓の時、暴風雨にあい、ひたすら妙見宮に祈念したところ、大難を免れた。武内宿禰に命じて住吉の浜辺でお祀りしていたのを、円融天皇の時代(約千年前)に京都に遷座。

妙見宮

お祭り 

『寺院神社大事典山城』平凡社

京都山城の神々

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H18.12.1