玉田神社
久世郡久御山町大字森小字宮東1

鳥居


交通
バス停御牧 北東に5分 ゼンリン

祭神
武甕槌神、譽田天皇、天兒屋根命、武内宿禰命
摂社 姫大神社「天照大神」、稲荷神社「倉稻魂命」、市杵神社「市杵嶋姫命」、金刀比羅神社「大物主命」

拝殿

由緒
 社記によれば、「元明天皇の御願で、本殿は春日四社、日本武家の祖神にて御摂家藤原氏の大祖。元明天皇、和銅三年(710)藤原京を平城京に遷したとき、皇城の鬼門方除の祈願に依って、八幡三社と武内の神を勧請して八社を祭って、八社大明神と称した。
 当社は古くは丹波津宮と呼ばれていたらしく、天正十四年(1584)の棟札にその名が見える。丹波津は宇治川と桂川の合流点付近にあった古代からの津である。両川の川道の変化は激しいものがあり、丹波津 の位置は不明であるが、当社の存在はその津の比定に参考になる。

本殿

お姿
 大字森で大内川の南東部に位置する。境内には木々が多く、大きい楠木や杉、樫などが目立つ。

お祭り  10月 5日 例祭

摂社

『平成祭礼データ』
玉田神社の由緒

 当社は、和銅3年(710)元明天皇の勅願により創建と伝えられ、往古は美豆野神社または丹波津宮と称された。
 本殿は四間社流造りで、規模の大きさでは町内随一である。当社に保存されている棟札によれば、天正14年(1586)5月御牧城(みまきじょう)城主御牧勘兵衛尉尚秀が願主となり社殿を再建した。その後寛永元年(1624)5月淀城城主板倉伊賀守高勝ならびに御牧八郷氏子惣中によって造営が行われている。
 玉田神社の境内社には、姫大神社・稲荷神社・市杵神社・金比羅神社の四社があり、本殿の祭神と合わせて八神を祭ることから玉田八社大明神と称し、方除け・鬼門除け祈願の神社として著名である。
 また玉田神社には、本当座・御幣座・御箸座・弓張座・明主座・森座・北相島座・中相島座の宮座があり、例祭日には御神宝を奉じ社参する伝統の行事が続けられている。
以上

『京都・山城 寺院神社大事典』

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