北白川天神宮
京都市左京区北白川仕伏町42-1 ゼンリン
鳥居
交通
バス停 北白川仕伏町から南へ300mく
祭神
少彦名命
舞殿
由緒
北白川一帯は一万年を越える太古の縄文時代より、人々が生活を営んでいた。ここに延喜以前(9世紀以前)より天使大明神と唱え、病気平癒健康長寿の神、少彦名命が祀られていた。
足利八代将軍義政公が東山山荘(銀閣寺)造営に際し、寛正年間(1460〜1466)やや東の千古山明神の森に遷座された。
社殿
たたずまい
当地は遠く比叡山を望み、外山・丸山・瓜生山より昇る日輪と共に拝する宮山は古来幽邃の仙境であった。
平安時代ここは都に近く、宮廷の貴族、大宮人が風光明媚な白川街道添いに、こぞって山荘を営み詩歌に興じた。
また白川石の産地と花の里でもあり、男は石工としてその秀でた技術は神社前の橋に残っている。
女は白川女として代々受け継ぐ地域へ今も花を届けている。
名水にも恵まれ遠方より水汲みに訪れる人も多い。
鳥居をくぐって登り道にさしかかる。幅の広い参詣道だが、登るに従って狭くなってくる。石の産地らしく、石恩と表した丸石などの石像物が置かれている。
篆刻の第一人者である塩小路光孚さんは当社の役員をされている。
本殿
摂社
八幡 春日 日吉 加茂
渝徳明神 不明社
お祭り 10月 6日〜10日
平成祭礼データ由緒から
北白川天神宮由緒
宮は延喜以前の鎮座と伝えられ北白川一帯の産生神で天使大明神と称し久保田の西に祀ってあったが東山将軍義政公の発願により現在の地に奉遷せらる寛文十三年照高院宮道晃親皇が天神宮と改められ大鳥居並びに御染筆になる天神宮の額を御寄進になり、宮家の御祈願所となる現今掲げてある額は往時のものである。
大国主命と力を合わせて国土経営に奉仕したと伝える医薬、酒造の神、少彦名命を祭神とする産土神である。社伝によれば当初白川村の久保田の森(現北白川久保田町)に祀られていたが、文明年間(一四六九−八七)に足利義政の発願により当所に移された。また江戸時代には照高院晃親王の崇敬を得て「天神宮」としるした額を賜り、以後「北白川天神宮」とよばれるようになった。 以上
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『寺院神社大辞典 山城』、『由緒書』
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H20.12.10 |