宇賀神社
京都市南区東九条東札ノ辻町33

鳥居


交通
地下鉄十条 北東300m its-mo

祭神
宇賀魂神、天照大神

拝殿

由緒
 『山城名勝誌』に、「宇賀塚は九条の南東洞院東宇賀辻(現在の札ヶ辻)にあり、土人云う、判官塚の一町ばかり南なり。と記されています。
 また『陶原月輪両塊門図』に、「昔藤原鎌足公千有余年前、この辺りを遊猟中に金璽を得、後世この辺りに都が遷されて我が子孫が亦繁富することを予知してこの金璽を蔵めたのが今の宇賀塚であることが記載されているのを見ても宇賀塚の由来は飛鳥時代の近江大津の宮の時のものであって、京都の数ある神社の中でも極めて古いものである。−−社頭掲示から−−。

 宇賀神は穀物の神であったが、のち広く福神の意義を持つようになった。

本殿

本殿

たたずまい
 地蔵院の前を北に行き、一つ目の道を東に行くと北側に鳥居が見える。それほど広くはないが、本殿の両サイドに椋の古木と楠の巨木が生えている。

楠木 椋木

 椋の木は本州以西に原生するニレ科の落葉高木。この木は推定樹齢500年以上と云われている。

お祭り 9月 15日 例祭 [通称]放生

『平成祭礼データ』

 宇賀神社 略由緒
 古くは宇賀塚とよばれていたところで、後世、塚の上に社殿を建てて神社にしたという。伝説によると、大化改新(645)の功によって藤原の姓を賜わった釜足が、あるとき月輪(今の東福寺から泉涌寺にかけての一帯)に狩に来て、この地で金璽(金印)を得た。その時釜足は、後の世に都がうつされ、この地で子孫が繁栄することを予知、そのしるしとして金璽をここに埋めて塚とした。それから100年余りの後、釜足の予知どおり都は山城にうつり、藤原氏一門は大いに栄えた。特に東九条一帯は、藤原一門の中でも名家とされた九条家が邸宅を並べたところで、以来九条家は、明治に至まで宮庭で重きをなした。藤原氏の祖釜足の期待に十二分に応えたと言える。宇賀神社は東九条村の産土神として崇敬されてきた。境内に雷が石になったと伝えられる雷石があるが、これは隕石だということである。境内には樹齢500年を超える大椋(むく)、銀杏(いちょう)などの巨樹名木がある。毎年9月15日多彩にお祭が奉納される。

 以上
 

京都山城の神々

神奈備にようこそにもどる

H18.5.31