宇治神社
京都府宇治市宇治山田1 its-mo

交通
京阪、JR駅 平等院鳳凰堂の川向かい

祭神
菟道稚郎子

本殿


由緒(平成祭礼データ)
  当社は仁徳天皇の創建にして往昔より離宮八幡宮という、史上所謂桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)これなり、抑も祭神菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)は応神天皇の皇子にして、夙に経籍を習い、儒道を修め博くその理義に通じ給う、ことに聴明叡智に坐しましかば、天皇深く御鍾愛あり、長子を凌きて皇太子と定め給う、御父応神天皇御崩御の後、命は天位を皇兄大鷦鶺命(おおささきのみこと・仁徳天皇)に譲りて此処に住はせ給う、されど皇兄位を践み給わず、互に相譲りて帝位を空ふし給うこと三年、命皇兄の御心の奪うべからざるを知り給うや、死を以て節を全うし給えり、皇兄深く痛哭哀悼し給えど今は詮術なければ、遂に天位を襲い給う仁徳天皇すなわちこれなり。しかれば此の御即位譲りのことは百世の美徳として普く世人の知る所なり、ここに於いて天皇その宮居の地に祠を建てて、命の神例を鎮祭せしめ給う、これ当社の創立なり。
 命は初め百済の貢士阿直岐(あちき)および王仁(わに)に就て学び薀奥を極め給う、実に我国文教の始祖にして、その事蹟は長へに彜倫を叙し汎く治教を張れるのみならず、国運の隆興も亦大に負うところ甚少なからざるべし。
 当社は古来極位の官社にして、歴朝の崇敬武将の信仰は申すもさらなり、殊に後冷泉天皇の尊崇厚く、宇治関白頼通公も亦深く崇敬し、毎年例祭の砌り幣帛を進め神馬を獻したり、また社家政所総長者神事奉行所のありしと、古史社伝社記に詳かなり、中古兵乱等のため、太く衰微せるも今なお古礼の存するものあり。
 明治三十年皇太子殿下(大正天皇)本社に行啓ありて幣帛を供進せらる。
 御神像および社殿は共に重要文化財なり、年中祭典行事の主なるものは、歳旦祭を初め祈年新嘗等の大祭、中祭、小祭、遥拝式の外に毎年十月一日献茶祭、五月八日例祭。

由緒(寺院神社大事典(山城)平凡社)から
 延喜式神名帳の宇治郡に宇治ノ神ノ社二座とあるうちの一座とされるが、宇治上神社の二座に比定する論もある。
 平安末期には田楽、鎌倉神代には宇治猿楽が台頭する。

たたずまい
 古都京都の文化遺産として世界文化遺産に登録された。(平成六年)
 こちらの方が八幡社らしい雰囲気である。


お祭り 4月 第二日曜日  水神祭
 6月 5日 幣渡祭
10月 1日 1日間 八朔祭10月14日 献茶祭

平成祭礼データ(神社庁)
京都山城寺院神社大事典(平凡社)

京都の神々

神奈備にようこそにもどる