與杼神社(淀姫さん)
京都市伏見区淀本町167

鳥居


交通
京阪淀駅 西改札すぐ its-mo

祭神
高皇産靈神、豐玉姫命、速秋津姫神

拝殿

由緒
 山城国乙訓郡の式内社。
 元は桂川の対岸の水垂町に鎮座していたが、淀川改宗工事に際して淀城跡北の現在地に移転。
 淀姫社、水垂社、大荒木神社とも呼ばれていた。

拝殿

 『三代実録』に、貞観元年(859)に、正六位上与度神を従五位下の叙したとある。
 『寺院神社大事典山城編』には、旧鎮座地は『和名抄』の乙訓郡榎本郷の地であったと云われ、従って豪族榎本連の居住地と思われ、一族の祖神として祀られたとの説があるとしている。『姓氏録』によれば、左京神別に榎本連があり、道臣命十世孫佐弖彦之後也とある。大伴氏の系統だと高皇産靈神より発していることになる。

 社伝によれば、応和年中(961〜964)千観内供が肥前国佐賀郡の河上神を勧請したことに始まるとされている。祭神の一の豊玉姫の説明であろう。

本殿
 

お姿
 境内の木の枝を切り落としており、明るいイメージ。明治30年頃に当地に遷座しており、古社の雰囲気はない。それでも能舞台のような拝殿は重要文化財に指定されている。
 本殿は子供の花火遊びで炎上してしまったようだ。

お祭り 10月 8日 秋季祭

『平成祭礼データ』

 與杼神社 由緒・沿革

 社伝によると当社の創始は、応和年中(961から963)に僧千観内供が佐賀県(肥前国)佐賀郡河上神(与度日女神)を勧請したのに由来するといわれている。しかし実際にはそれより古く、「三代実録」に貞観元年(859)従五位下の神位を賜ったことがみえ、また延喜の制には小社となっていることから千観が勧請する以前よりあったものと考えられる。旧地は乙訓郡淀村大荒木ノ森、俗に西淀といわれたところで、当社はこの地に古くから住んでいた大与等何々などという住民の祖神を祀ったものと思われる。明治三十三年(1900)に至り、淀川の改修工事のため現在地に移され、淀・納所・水重・大下津の産土神として信仰されている。

 本殿、拝殿は慶長十二年頃の建立。桃山時代の建築様式をよく保存していたため、昭和四十六年六月二十二日国の重要文化財の指定を受けた。しかし、昭和五十年八月五日子供の花火遊びにより本殿が焼失、拝殿のみが近辺でただ一つの重要文化財建造物として往時の威容をとどめている。
 昭和五十八年解体修理工事が施され「コケラ葺」屋根に現状変更がなされた。更に昭和五十九年度これに防災施設工事が追加完了した。  以上

『寺院神社大事典山城』平凡社

公式與杼神社

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H18.12.1