姫社神社ひめこそ)
岡山県総社市福谷1423 its-mo
鳥居と「古代吉備之國波多波良郷鉄造之神社」 裏に「秦郷鉄造之発祥之地」の碑 備中国下道郡秦原郷の地。
交通案内
伯備線豪渓駅から高梁川を南に渡り、上流へ1km
祭神
比賣許曾神
由緒
比賣許曾神は、天日槍命により新羅国から追いかけられた女神である。阿迦留姫命と言う。
列島への上陸は筑前国怡土郡(高祖神社)、筑後国御原郡(媛社神社)、豊後国国東郡姫島(比賣語曽社)、摂津国のルートのようで、クッキリと足跡が残っている珍しい神である。当社の鎮座の歴史は不明だが、阿迦留姫命が立ち寄ったのかも知れない。
当地は地名を秦と言う。兵主ー天日槍ー秦、この関係は西日本に多く見える所である。
当地もごたぶんに漏れないようだ。
上田正昭著『東アジアと海上の道』には以下のように当社のことが記されている。
岡山県総社市の秦村福谷、姫社神社があるということを聞いた。この地の小幡さんと言うお家、古い居住者なのだが、そこへおじゃまをして文書を見せていただいた。その文書にも室町時代にヒメコソ祭りの行なわれていたことが記されてあった。少なくとも室町時代にはこの姫社神社の祭りがあったということは間違いない。この地は高梁川の上流に位置する。それを加えるとヒメコソの分布は来た九州とそれから岡山県、昔の吉備国、播磨というふうに瀬戸内海周辺に分布していることがわかる。
天日槍命や阿迦留姫命は秦氏の産鉄民が齋祀った神であり、真金吹く吉備の地に祀られている当社は、神社境内にある標識のように鉄造の神社であろうが、この付近の土壌には鉄が多いようには思えなかった。
当社のことは天文年間(1532〜1554年)の古文書に書かれているようだ。これが上田先生の見た古文書だろう。
社域風景と吉備国発祥の地の碑
お姿
高梁川を見下ろす小高い場所に鎮座している。 杉林と碑とが面白いコントラストをなしている。石疊神社の巨大磐座がよく見える。
本殿
お祭り
10月第2日曜日 秋季例祭
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