竹神社
三重県多気郡明和町大字斎宮2757-2 ゼンリン


交通案内
近鉄 斎宮駅 南へ300m

祭神
長白羽神、天照大御神、建速須佐之男命、八柱神、應神天皇、地主神、火産靈神、宇迦之御魂神、大己貴命、天棚機姫命、八千千姫命、瀬織津姫神

斎王の森



由緒 平成祭礼データから
 垂仁天皇の御代、竹連・竹氏という豪族、連は姓の祖、宇迦之日子の子、吉日子が天 照大神の奉行に供奉して、この地に留まり、孝徳天皇の御代に至って、竹郡創建の際 に、その末裔が当社を創祀した。竹吉日子については、「皇太神宮儀式帳」に、竹の 首吉比古の名がみえ、神社は櫛田川の古流祓川の東岸台地である竹川字中垣内(ふる さと地区)に祀られていた式内社である。斎王制度が固まっていくとともに、地名も 「竹の都」から「斎宮」に変わっていった。「斎宮」には「斎王」がおられ、天皇に 代わって、伊勢の神宮に仕えた。その役所である屯倉斎宮寮には往時500余人を数 える官人がおり、内院、中院、外院と17の社が祀られていた。斎王はこれらの社を 参拝せられた。「野々宮」もその一つであろう。天武天皇のとき、大伯皇女が斎王に 麻績氏が頭に任ぜられた。この麻績氏の祖が、長白羽命で当社の主祭神として祀られ ている。現在地の「野々宮」は「斎王の森」とともに斎王にゆかりの地であり、毎年 6月「斎王まつり」が行なわれる。

鳥居



 明治末期には付近の二〇社ほどの神社を合祀している。この茅は元、宇志葉神社の社地であった。


お姿
  清掃が行き届いている気持ちのよい神域であり、猛暑の中でもここだけは実に涼しかった。

竹神社の本殿(神明造)



お祭り

 4月 3日 例祭


神奈備にようこそ