岸和田天神宮
岸和田市別所町 its-mo


鳥居


交通案内
南海電鉄岸和田駅東側



祭神
速須佐之男命、菅原道眞

摂社 岸和田天神戎神社

社殿


由緒(平成祭礼データ)


 当社の創建は伝えによると、後村上天皇の正平十七年(一三六二)の頃、泉州沼村(現在の沼、筋海、並松)の村長に沼間将監という人があって極めて孝心が厚く、父親が長らく病床に就き八方手をつくし平癒を願ったがその効験がなかった。そのため、かねてから信仰していた山城国八坂神社に参り、病父の平癒を祈願すること三日、ついに霊感を得て歓喜して帰郷すると父の病は全快し、平日の元気な姿に復していた。
 沼氏は大いに喜び、その御神徳を村の衆に告げ邸内の清域(現在地)に社殿を造営して八坂神社(祭神、速須佐之男命)の御分霊を勧請したのが始まりという。

 以後、沼氏代々の鎮守として霊感日毎に増し、村内に水旱病疫等、事ある毎に祈願を行い霊感あらたかで、その御神徳が遠近に聞え、崇敬する者も多くなった。

 後天照大神、八幡大神を別社に祀り、沼の天神さんとして親しまれてきた。その後、 明徳年間(一三九〇)に至り、山名、大内二氏の争乱等により天正年間(一五七三)に至るまで再三兵火の厄に会い、社殿旧記宝物等一切は焼失した。村民はその荒廃を嘆き、文禄三年(一五九四)に社殿の復興を図り御神徳が益々高揚した。慶長年間(一五九六)になり、小出播磨守が岸和田領主になった時、別社を岸和田城内に移しその守護神とした。

 天和(一六八三)に至って天神宮と称した。表「天神宮」裏面「天和三癸亥年八月祭吉日」と彫られた神号額が現存している。享保年間(一七一六)村民が私祭していた菅原道真公を合祀した。明治四年、神社調査の際、社名が天神宮であることから主祭神を菅原道真公なりと誤認して菅原神社と届出した。

 明治四十年から四十二年にかけて、近隣八社を合祀し、氏子町内も拡大した。昭和五十七年御鎮座六百二十年を機に社殿を御造営し、完成後名称を旧に復し、岸和田天神 宮(通称沼天神)と改称した。

お姿
 駅前に鎮座。山車の宮入が行われる。

岸和田駅前の山車



お祭り
  6月30日 1日間 夏越大祓(水無月の大祓)茅の輪神事
  9月14日 1日間 宵宮祓式
  9月15日 1日間 例祭(地車祭り)



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