矢代寸神社
大阪府岸和田市八田町357番地

鳥居


交通案内
JR東岸和田駅 東へ3km its-moxcz



祭神
武内宿禰、波多八代宿禰 合祀 建御名方命、素盞嗚命、菅原道眞、市杵嶋比賣命、武甕槌命



由緒
 式内社で矢代寸神社二座とある。一座は当社、もう一つは諏訪宮であったが当社へ合祀されている。 一の宮は波多氏(秦氏)の祖神を祀るのに対し、下社は諏訪神であるのは、何故だろう。一見無関係と思われるようだし、単に近いと言うだけではない何かがあるのだろう。
 諏訪には多氏が国造になったりしており、多氏と秦氏とは底流でつながっているようだし、その程度の事で建御名方命を当地に祀ることになったのであろうか。

 矢代寸神社はヤシロキと訓むがこの寸は村のことではないか、等の意見もあるが、ヤシロキとして考えると、ヤ+白木と見ることができないだろうか。白木は新羅、秦氏の留まった地である。

 建御名方命を祀った秦氏、秦氏は祭神を選ばず、ダボハゼ的な所があるが、泉州の地で建御名方命とは何を意味するのだろうか。

 矢代寸神社二座の一座が諏訪宮となったのはいつの頃からか、武将の信仰の篤い諏訪神であり、案外鎌倉以降かも知れない。

本殿


お姿
  ダンジリ五台の宮入が行われる。拝殿前の広場に並ぶと壮観だろう。 片隅に足神様が鎮座、地元の方によれば、昔は足の悪い人、痛い人がやってきて石を撫でていたと言う。その風習は途絶えてしまったようだ。

足神様


お祭り

 10月10日 例祭


『平成祭礼データ』 一ノ宮矢代寸神社略誌
当矢代寸神社は継体天皇元年の創立と傳えられ明治6年郷社に列せられる。延喜式内 神社にて延喜式に矢代寸神社二座とあり一座は即ち本社にて一ノ宮と称し八田町にあ り一座は諏訪宮と称し又矢代寸下神社と云う。明治四十年十二月、本社に合祀せらる 。
主祭神は武内宿祢及波多八代宿祢にて当地は波多氏の居住地にしてとの祖神を祀って いたようである。又、当社は岸和田藩の一ノ宮にて藩主交代の際は藩下各社に参拝あ りしも中古より略して当社のみ参拝あり現在町民皆当社を一の宮と呼称す。
國内神名帳には従五位屋代村社と載せ又当地は屋代村(矢代寸)と称したるが如し。

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