式内川上鹿塩神社

吉野郡吉野町樫尾423 its-mo


本殿を仰ぎ見る。


交通案内
近鉄吉野線大和上市からバス 樫尾下車 南山腹の林道を40分登る


祭神
 天照皇大神、忍穗耳命、瓊瓊杵命(平成祭礼データ)
 主神 大倉比賣命、左相殿 大国主命 右相殿 味高日子根命あるいは大倉下命(神社明細帳)
 大倉明神あるいは大倉五社大明神(大和志)
 吉野国樔部らの祖石押分(日本の神々4)


拝殿と鳥居



由緒
 吉野川南岸の樫尾集落の東南奥の五社峠頂上に鎮座。
 式内小社の論社。『記紀』の応神天皇の条の国樔人の歌「白檮(カシ)の生(フ)に横臼(ヨクス)を作り横臼に醸(カ)みし大御酒(ミキ)うまらに聞こしもち食(ヲ)せまろが父(チ)」 の白檮の生を樫尾と見なされているようだ。
 樫の林で横臼を造り、その横臼に醸した大御酒を、おいしく召し上がれ、わが父よ。応神天皇に酒を捧げたということ。

 本居宣長の『菅笠日記上の巻』に「鹿鹽神社の御事をたづねはべれば、そは樫尾・西河・大滝三村の神にて西河と樫尾のあわいなる山中に、今は大蔵明神と申しておはす云々」と記してあり、この時代には鹿塩神社と大倉大明神は同じ神域で祭祀されていたようだ。

 明治三十五年に麓の十二社神社の傍らに遷り、昭和十五年まで祭祀が続いたが、それ以後は旧社地である現在地に遷り、現在に至っている。

 論社の大蔵神社は対岸の吉野町南国栖と川上村深山の境界の衣笠山中腹に鎮座し、鹿葦津比賣命、大倉姫命、石穗押別命を祭神としている。

 全く別の神格かも知れないが大倉姫命は御所市古瀬の大倉姫神社の祭神として現れている。『寺院神社大辞典』によれば、大倉姫とは大己貴命の子下照姫の別名とされ、また「先代旧事本紀」では味高日子根命の子とされ、葛上郡の式内社の大倉姫神社の祭神ともされる。この式内論社は高鴨神社の南西の大杉の大川神社または柏原の間神社(ホホマ)とする説もある。いずれにしても葛の郡のことであり、葛と大倉とは何かのつながりがあると見ていい。

 近江国甲賀郡に石部鹿鹽上神社が鎮座、吉姫神社、吉御子神社を後裔社としているが、「吉」とは何だろうか。
 また祭神に鹿葦津姫命の名が見えるのは神社名の「鹿」からの連想であろうか。吉野川の下流に阿陀比売神社が鎮座、鵜飼の民の女神でもあり、国栖の民を構成していたのであろう。葛・九頭なるキイワードで紀ノ川、吉野川、大和高原、甲賀とつながっているように思われる。謎が謎を呼ぶ神社である。

本殿


お姿
 鎮座する五社山の頂上付近には巨岩が突出しているそうだが、確認はできなかった。 この岩を大座と称し、祭神として大倉比賣などとされているのであろうか。

 樫尾のバス停を少し上流へ行き、墓地へ登る道を行き、墓地の奥から山道を登るとコンクリート舗装の林道に出る。 この道を道成に歩く。左右は無味乾燥の植林の杉林。

 拝殿とその奥に明神鳥居が現れる。鳥居の向こうはただの山の斜面。横に上へ登る道があり、 これを登ると覆殿の中に本殿が鎮座、分厚い萱葺の神明造、二十一年おきの式年遷宮が行われていたが、 今の社殿は明治三十四年に改築、昭和十八年に改造されている。遷宮は途絶えている。

十二社神社 工事中
 



川上鹿塩神社のお祭り
例祭  11月22日

参考書 『日本の神々』『式内社調査報告』
大和の神々
神奈備にようこそ