三島鴨神社
大阪府高槻市三島江二丁目 its-mo



一の鳥居の下で柏手をうつ


交通

阪急茨城駅 阪急バス鳥飼大橋方面行き三島江 高槻市バス三島江



祭神

大山祇神、事代主神

摂社
大将軍社「武甕槌神」
厳島神社「市杵島媛神」
竃神社「奧津彦神、奧津比売神」 唐崎神社「大山祇神、天児屋根神、菅原道真公」
柱本神社「宇賀御魂神、菅原道真公」
西面八幡神社「誉田別天皇」
<



拝殿、右側に本殿、左側は摂社柱本神社

由緒

 社伝によれば仁徳天皇の時代に百済より大山祇神を迎えて摂津御島に淀川鎮守の社を造ったのを創祀としている。 これは『伊予国風土記逸文』に「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積の神、一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の国より渡り来まして、 津の国の御嶋に坐しき。御嶋と謂うは、津の国の御島の名なり。」とあることを根拠にしている。

 さらに社伝によると、三島江の東の淀川沿いにいた物部の韓国連が祭祀に協力したとしている。 素直に、物部の韓国連が百済から奉斎して来た神は渡しの神である、この神を大山祇神と習合させたのかもしれない。と考えて見る。

 伊予の大三島島の大山祇神社の元社はすぐその北側の上浦町に鎮座する横殿神社とされている。この伊予は物部氏の小市國造、風速國造の支配する地であり、ここでも大山祇神の祭祀にかかわったものと思われる。
 日本三三島の一である伊豆の三島神社もまた物部系の伊豆國造の国である。伊豆國造は物部連の祖天藐[藐の兒は生]桙命八世の孫・若建命。とされている。深く物部にかかわる神社であると言える。

 播磨の式内社伊和都比賣神社[イワツヒメ]の論社である兵庫県明石市大蔵本町に鎮座する稲爪神社[いなづめ]の祭神も「大山祇大神」であるが、ここの由緒に「推古天皇の御代、三韓我国を傾けんとして鉄人を大将として八千余人来攻したる際、 伊予国小千益躬、之を迎え討てとの勅命を受け、氏神愛媛県大三島大山祇神社に祈願し、播州明石にて迎え討つ、此の時大山祇大神の瑞験によりて一天俄にかきくもり、 稲妻稲光の中に鉄人を平げることが出来た、依って大山祇大神の現われ給うた地に一社を建て、稲妻大明神と崇め奉り、後世稲爪神社となった。 とある。
 韓国軍の襲撃の物語は『記紀』には出ていないのであるが、例えば荒蝦夷から防御へ彼らの祀った荒羽祇神を逆利用するしたたかさが祖先達にはあったようである。

 当社は摂津国嶋上郡の式内社三嶋鴨神社の論社である。もう一つの論社は高槻市赤大路町字鴨林に鎮座の鴨神社である。 鴨林は今でこそ住宅地で一杯だが、その昔は深い森だったようで、淀川からはいささか離れてはいるが、鴨族の祀る神社ならば、 深い森もまた似つかわしいようにも思われる。



本殿 直接本殿にお参りできる。拝殿の再建が遅れてそれが習慣になったとのこと。

お姿

 祭神については現在は大山祇神、事代主神の二柱となっている。 この神社の名前の三島に重点をおけば渡しの神の大山祇神、鴨に重きを見れば事代主神となるのだろう。 この近くに溝咋神社が鎮座、『日本書紀』によると事代主神が三島溝杙姫(玉櫛姫)に生ました姫が姫鞴五十鈴姫で、神武天皇の妃となった また三島溝杙姫の父神が三島溝咋耳命、その父神が大山祇神となっており、姫鞴五十鈴姫の両方の祖先神が祭神となっている。 大和王権の成立とこの地方の豪族とは無関係ではないことを物語っているようだ。

 社叢は楠木や榎木が多く、樹林保護地区に指定されている。江戸時代には二の鳥居だった鳥居が西側にある。阪神淡路震災で倒壊したが、翌年の平成八年に再建されている。 戦災で消滅した拝殿は昭和二十四年に再建されている。

 元の鎮座地は現在の淀川堤防になっている川中島だったそうで、伊予の三島と同様に島であるのは、渡しの神、また造船の神を思わせる。 元禄十年(1697年)に遷座している。

 この地の神社の摂社は比較的大きい。確認できなかったが石灯籠に三つの山が彫られているとのこと、島は領域でもあり、山とも言える。 三島とは三山ともとれるとすると、どこの三山だろうか、やはり大和三山だろうか。香春岳だろうか。


お祭り

 10月20日


摂津名所図会 三島鴨神社 上辺は淀川

参考 『式内社調査報告』三島鴨神社由緒略記

大阪府神社一覧
神奈備にようこそに戻る