大阪府高槻市三島江二丁目 its-mo 一の鳥居の下で柏手をうつ
交通 阪急茨城駅 阪急バス鳥飼大橋方面行き三島江 高槻市バス三島江
摂社 拝殿、右側に本殿、左側は摂社柱本神社
由緒 さらに社伝によると、三島江の東の淀川沿いにいた物部の韓国連が祭祀に協力したとしている。 素直に、物部の韓国連が百済から奉斎して来た神は渡しの神である、この神を大山祇神と習合させたのかもしれない。と考えて見る。 伊予の大三島島の大山祇神社の元社はすぐその北側の上浦町に鎮座する横殿神社とされている。この伊予は物部氏の小市國造、風速國造の支配する地であり、ここでも大山祇神の祭祀にかかわったものと思われる。 播磨の式内社伊和都比賣神社[イワツヒメ]の論社である兵庫県明石市大蔵本町に鎮座する稲爪神社[いなづめ]の祭神も「大山祇大神」であるが、ここの由緒に「推古天皇の御代、三韓我国を傾けんとして鉄人を大将として八千余人来攻したる際、 伊予国小千益躬、之を迎え討てとの勅命を受け、氏神愛媛県大三島大山祇神社に祈願し、播州明石にて迎え討つ、此の時大山祇大神の瑞験によりて一天俄にかきくもり、 稲妻稲光の中に鉄人を平げることが出来た、依って大山祇大神の現われ給うた地に一社を建て、稲妻大明神と崇め奉り、後世稲爪神社となった。 とある。 当社は摂津国嶋上郡の式内社三嶋鴨神社の論社である。もう一つの論社は高槻市赤大路町字鴨林に鎮座の鴨神社である。 鴨林は今でこそ住宅地で一杯だが、その昔は深い森だったようで、淀川からはいささか離れてはいるが、鴨族の祀る神社ならば、 深い森もまた似つかわしいようにも思われる。 本殿 直接本殿にお参りできる。拝殿の再建が遅れてそれが習慣になったとのこと。
お姿 社叢は楠木や榎木が多く、樹林保護地区に指定されている。江戸時代には二の鳥居だった鳥居が西側にある。阪神淡路震災で倒壊したが、翌年の平成八年に再建されている。 戦災で消滅した拝殿は昭和二十四年に再建されている。 元の鎮座地は現在の淀川堤防になっている川中島だったそうで、伊予の三島と同様に島であるのは、渡しの神、また造船の神を思わせる。 元禄十年(1697年)に遷座している。 この地の神社の摂社は比較的大きい。確認できなかったが石灯籠に三つの山が彫られているとのこと、島は領域でもあり、山とも言える。 三島とは三山ともとれるとすると、どこの三山だろうか、やはり大和三山だろうか。香春岳だろうか。
摂津名所図会 三島鴨神社 上辺は淀川 参考 『式内社調査報告』三島鴨神社由緒略記 神奈備にようこそに戻る |