大屋都姫神社 (おおやつひめ)
和歌山市宇田森59 mapfun



交通案内
阪和線  天王寺→砂川で各停→紀伊下車 (60分840円)
徒歩   東へ3分、南へ12分、途中に喜の国の老人憩いの館の立派な建物ができている。

祭神
大屋都比売命
素尊(須佐之男の命)の子、相殿の兄神、妹神と共に、木種を国土に播いた。
木具、薪炭、船車、住宅等の木製品の守護神である。

配祀神社 伊太祁曽神社「五十猛命」、抓都姫神社「抓都姫命」

 この大屋とは豪族の意味があり、大屋の科(おおやのけ)とは豪族の生活費のことで、「公け」である。地名の話(谷川健一、尾崎喜左雄)平凡社より。

由緒
  御祭神は、素戔嗚尊の神女で五十猛命の妹神である。 この神は妹神の柧都姫神命と、御父神の勅を奉じ、御兄五十猛命の神業を助け八十木種を筑紫の国より播き始め、 大八州国島の八十国残る隈なく播種し終り、当地に鎮り、木種播殖に著大な御功績のある神であり、樹木の守護神として御神徳もあつい。

 なかでも大屋都姫命は住宅、船、車、木具、薪炭など木製品の守護神として崇敬さている。

 当社古くは五十猛命、柧都姫命とともに日前宮の地に鎮座するも、垂仁天皇16年、伊太祈曽村に遷座し、文武天皇御宇、太宝二年(702年)三神を3所に分遷したとき北野村古宮の地に遷り、更に今の宇田森神ノ木の地に遷座される。

お姿
 宅地開発が進み、境内間際まで人家が来ている。また幼稚園も隣接している。 神殿の後方の杜はこんもりとしている。流石に木の神をお祭りしている神社を思わせる。
 紀ノ川をはさんで高積山が姿よく見えるが、これがまた嫁に行った妹が貧しい生活を強いられ、高積山の向こうの実家を懐かしがっているような気持ちを感じさせてしまう。

神奈備
紀ノ川下流域の神奈備山「高積山」。神社との間を紀ノ川が流れている。



お祭り
夜宮祭  8月21日
例大祭 10月21日

紀伊国名所図絵


紀伊續風土記 巻之九 名草郡 平田荘 宇田森村から


○大屋大明神社  境内 東西五十間 南北五十間   禁殺生
      五十猛命社  三尺一寸 二尺四寸  
  祀神  大屋津姫命社 六尺九寸 六尺二寸  
      妻都姫命社  三尺一寸 二尺四寸
   拜殿   廰   御供所
   御湯所  鳥居二基 一基は島村領にあり兆域方八間
  末社五社
   伊太祁曾大神 都麻津姫大神 社  五社明神社
   天照大神 猿田彦大神 社  里神社
   天神地祇社
  延喜式名草郡大屋都比賣神社 名神大月次新嘗
  本國神名帳名草郡従一位大屋大神
森の艮一町許にあり 宇田森北野二村の産土神なり 三代實録に云貞観元年正月二十七日奉授従五位ノ下大屋津比賣神ニ従四位ノ下とあり
本国神名帳に従一位とあるは貞観以後増階ありて従一位に昇り給へるなり
當荘上世五十猛命抓津姫命と倶に今の日前宮の地に鎭座し其後山東ノ荘に遷座し大寶二年(702年)に至り三神を三所に分ち遷す 當社も此時北野村の内今の古宮といふ地に遷り後更に今の地に遷座す 其詳なる事は山東荘伊太祁曾神社の條に出せり
祭禮六月朔日 九月二十一日なり 古は神事に流鏑馬猿田樂あり 又十月末の日山東伊太祁曾の神社の社人小豆飯橙餅並魚酒なと供へ十一月末の日山東より當社へ渡りありしとそ 當社の神戸を大屋神戸といふ其地は今の和佐ノ荘の地ならむ事は和佐ノ荘論に辨す 其癈するいつれの時なるをしらす後世神領の多少又詳ならす寛文記に近古まて神田二町ありしといへり今社の近邊高五百石ほとの地を字神の木と呼ふ古森の殊に廣大なりし事知るへし
當社一荘の氏神なるへきに今僅に二村の氏神なるは後世荘中争論なとありて弘西北西田井ノ三村は別に分れ當社を氏神とせさるに至りしならむ

『平成祭礼データ』lから

 参拝のしおり
 御由緒
 御祭神は、天照皇大神の皇弟素戔嗚尊の神女で五十猛命の妹神である。 この神柧都姫神命と御父神の勅を奉じ給い、御兄五十猛命の神業を助け八十木種を筑紫の国より播き始め、大八州国島の八十国残る隈なく播種し終りて、当地に鎮り坐す木種播殖に著大な御功績のある神であり樹木の守護神として御神徳もあつい。
 なかでも大屋都姫命は住宅、船、車、木具、薪炭など木製品の守護神として崇敬されている。 仁明天皇嘉祥三年、清和天皇貞觀元に神階の御授進あり、その後寛治元年、堀河天皇熊野御行幸の時、特に御奉幣あり。次いで長治元年に十八町歩の神田、五町四面の社地を御寄進あったが大水の乱、天正の兵火にさしも宏壮を極めた宮居も灰燼に帰した。
 当神社は延喜式神明帳に紀伊国名草郡大屋都比賣命、名神大月次新嘗とあり、本国神明帳に従一位大屋大神、三代実録に貞觀元年正月二十七日奉授従五位下大屋都比売神従四位とある。
 本国神明帳に従一位とあるのは貞觀以後増階のあったものである。
 当社古くは五十猛命、柧都姫命とともに日前宮の地に鎮座あるものち伊太祈曽村に遷座し、太宝二年三神を3所に分遷したとき北野村古宮の地に遷り、更に今の宇田森神ノ木の地に遷座される。   
 以上

大屋姫神社(島根)
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