射箭頭八幡神社
和歌山市本脇260 its-mo



交通案内
南海電鉄加太線二里が浜 北西500m

祭神
應神天皇、神功皇后、日本武尊

由緒
射箭頭の社号は古く、息長足姫尊(神功皇后)が三韓より帰国され加太浦に御着船の際、御弓を携えかぶら矢を射られ紀水門飽浦の下地尾の崎に止まった。
神功皇后と品陀皇子が其處を尋ね来られ鎮座された。住民は弓の弦で餅を切り献上したことから地名を「糸切」と呼ぶようになった。民話が残っている。
又、これより先に日本武尊が西国に御幸の時、飽浦に滞在されたことから、天児屋根命二十二世孫天寿磨がその地、下地尾に社を建て應神天皇を主として、日本武尊、神功皇后を相殿として射箭頭八幡三神大神と称して飽浦の神廟としてお祭りし、戦の神として代々朝敵を亡すべく祈りを捧げて来た。古くは大塔宮護良親王様も御祈願になり、八幡大菩薩の五文字、掛物一幅を奉納されている。
又、神功皇がご懐妊されていたことから安産の神ともいわれている。
その地は現在の社より二百間ばかり北に当る池の上(三池峠)であったが、人の往来が多くなった天正年間に、神託によって中村左衞門九郎忠政が現在の地へ移し建てたものである。

お姿

海の臭いのする雰囲気の町にあまり大きくない社域を持って鎮座している。周辺にまで宅地開発の波が進んできている。


お祭り
 6月30日 夏季大祓(茅の輪くぐり神事)
10月14日 例大祭(宵宮祭)
10月15日 例大祭(秋季例大祭)

紀伊国名所図絵




紀伊續風土記 巻之二十三 加太荘 本脇村から

○八幡宮  境内 周百八間
  本 社  廳  鳥 居  額あり
  末社二社  住吉社  蛭子社
加太街道にあり 一村の産土神にして加太淡島の摂社なり 慶長十年浅野家の臣に中村善等といふ者
村境の内に射塲といふ字あり 善等の射塲といふ 豊前宇佐八幡宮を此に勧請すといふ 善等か子孫享保十六(1731)年當社の神司を命せらる 清渓公御寄付の太刀あり
        神主  中 村 氏
 以下省略
 



古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る