熊野古道、和歌山県の王子社
蕪坂王子と宮原神社

有田市宮原町畑字白倉427


 山路王子神社からは拝の峠越えである。急な登り道を行くと拝の峠である。登り道は舗装されており、風情はない。山道に入りかかるとすぐ紀州徳川家の菩提寺である長保寺方面への下り道がある。下らずにまっすぐミカン畑を行くと万葉歌碑があり、鉄塔を西にみて下って行くと急に開けて、道沿いに小祠がある。蕪坂(搭下)王子跡と云われている。 山路王子神社から60分。現在は少し南の宮原神社に合祀されている。


蕪坂王子跡


蕪坂王子跡の説明板





宮原神社摂社太刀宮(道祖神社) 有田市宮原町道359 its-mo

太刀宮「猿田彦大神」




宮原神社  祭神 氣長足姫尊、譽田別尊、比賣神 配祀 田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命

由緒  宮原神社は往古、水主名神を祀ったことに始まる。816年に宇佐よ八幡宮を勧請し主神となし、八幡宮となり、宮原神社と改称された。しかし816年の宇佐八幡は、八幡大神は聖武天皇霊と見なされており、氣長足姫尊を祭る大帯姫細殿は出来ておらず、現在のような祭神ではなかった。もっと後世の事だったのだろう。
 水主名神は摂社に置かれた。水主名神については保存されている江戸時代の祝詞から山城国久世郡に鎮座する
水主神社をこの地に祀るとあります。また十種神宝が社家に伝わっているとされる。
 太刀宮については、宮原神社の
HPを参照ください。

水主神社「天照大神、大國魂命、仁徳天皇、事代主命、倉稻魂命、熊野十二柱神、武内宿禰」
天神社「菅原道眞」
里神社「倉稻魂命」
大歳神社「大年神」
氣鎭神社 祭神不詳
水神社「都波能賣神」
熊野古道沿いに鎮座している道祖神社(太刀宮)「猿田彦命、市杵嶋姫命、素盞嗚命」
春日神社「天兒屋根命」
本殿の西側に鎮座する太刀宮「猿田彦命」大坂の陣で三つに折れてしまった太刀が自然につながったと故事があり、そのようにも呼ばれるようになったようだ。
蕪坂王子と次の(在田)山口王子を合祀している。

祭日 10月15日 例大祭

鳥居

拝殿

本殿

水主神社

道祖神社と熊野古道



藤白王子から山口王子への地図




『紀伊続風土記』 在田郡 宮原荘 道村 から

○八幡宮   境内周十町余   禁殺生
 本社    拝殿    廳    御供所
  神輿舎   鳥居
 末社六社
  若宮 高良社    飛鳥社 熊野権現社    稲荷社 水主社

村の東にあり 宮原荘六箇村の産土神なり 本社は 誉田天皇 気長足姫尊 比売大神 を祀る 縁起の畧に当宮八幡大神者
嵯峨天草ノ御宇弘仁七年(816)丙申之歳有草創至歴載経月之久世之治乱相遷物之興廃互変是以宮殿之祭祀之儀亦頗異乎草創之時矣於是至 後宇多帝御宇弘安七年(1284)甲申廻舊興廃面宮殿再新祭奠粛厥后積星霜而嘉吉元年(1441)源常久永十三源順家天文十五萬徳丸源某等尊崇尤深敬仰甚厚乃致修理之力一是以宮社諸殿復無廃闕之忠神領社地再無侵竊禍当宮事跡之詳神社記神宝記年中行事当宮当郷地理之図等各記之無遺漏今似神主藤原政淑之有請拾舊紀之所載以備後鑑者也維昔永録五年(1562)壬戌九月艮辰とあり此縁起并舊記等豊太閤の時没収せられせられ縁起は古き写を伝へたり 叉永正十三年 天文元年 慶弔十三年の棟札あり 八幡宮の額は天和二年右大将定誠の書なり 古は社頭三町ありしに天正中没収せらる 此社舊は両部にして別当もありしならん 今は唯一にして神主宮本氏社家七人あり 古より九月十四日を祭日とす 御旅所南村にあり 正保中?(樗のつくり)祭(雨乞い)して感応ありし事を記載せる文あり 其文に弘安七年 継絶興廃当此時法燈国師再開眼焉すといふ文あり

○山口王子社    境内周三百七十六間
村の北蕪坂の麓にあり 九十九王子の一にて御幸記に見えたり
 



『紀伊続風土記』 在田郡 宮原荘 畑村 から

○蕪坂王子社   境内周四十六間
蕪坂の上にあり 御幸記にカフラサカ塔下王子とある是なり 今本塔字を脱す 塔下は峠の借字なり 道間記に依るに蕪坂王子塔下王子の二社あり 今当社のみ存す 寛文記に鏑鎚王子麓にありと書すは道間記の蕪坂王子の事と見ゆれとも今は廃す
 

『平成祭礼データ』宮原神社
縁起

 氣長足姫尊は、第十九代開化天皇の曾孫氣長宿祢王の御子で、第十四代仲哀天皇の皇后におはします。時に筑紫国の熊襲が叛乱して皇命に従わず天皇と共に親征されたが、熊襲の叛乱は背後に三韓の援助あるを看破せられ、諸国の船舶を集めて三韓征伐中たまたま天皇崩御し給ヘる。皇后は喪を秘し御懐姓の御身を以て主謀国新羅を討伐せられた。新羅王降伏し皇后筑紫の宇瀰に凱旋して譽田別皇子を生み給い、幼帝を擁立して摂政の位につかれ、政務を執らせ給うた。
 また比賣大神と申すは天照大神の御子達で、神功皇后が三韓出陣の砌、この三神に戦勝を祈請され、三神の加護によりて新羅を征服して凱旋されたと伝へられる。当神社は第五十三代嵯峨天皇の御宇弘仁七年丙申年の勧請で古は宮山のほか字宮山下、宮の前一円に至り数十町歩の神領あり宮殿八宇山下囲んで荘厳を極めたと伝えられている。 以上

前の王子社、一壷王子
次の王子社、在田山口王子

宮原神社
熊野古道、紀伊路 和歌山県編
熊野古道、九十九王子社の探訪
古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る