熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
出立王子と八立稲神社

田辺市元町158 JRきのくに線田辺 西1km ゼンリン



 芳養王子から国道に合流し、ナショナルトラストの先駆けの天神崎を右手に見ながら進む。 龍泉寺がある。この南側の海岸の江川児童公園に潮垢離記念碑が立っている。

 当王子では「塩垢離」が参詣者にとって重要な儀式であった。田辺市の江川町の西方海岸は塩垢離浜、出立浜と呼ばれた。 今は埋め立てられている。 役行者が22歳で熊野詣を行った時の著述である「不思議神変」には「清浄地浜ノ塩ヲ浴ルハ、悪行煩悩ヲ洗浄ス、祓スヘシ」と記している。 ここは熊野詣での習わしで、人々が浜辺で潮垢離をとっていよいよ中辺路におもむいたのである。

 龍泉寺西側から田辺第三小学校方面に登る坂の途中に出立王子跡の祠がある。


 田辺王子、田部王子とも言った。院政期の鎮座地は確定できない。 江戸時代には今津川の右岸の上野山台地の中腹南側にあった。 明治40年八立稲神社に合祀され、現在はその境外摂社である。祭神は月夜見神である。

八立稲神社隣の出立王子社鳥居



紀伊續風土記 巻之七十一 牟婁郡 田辺荘 西谷から


○若一王子社   境内 東西五十間 南北二間
 本 社
 摂 社  太神宮   拝 殿
村中の氏神なり 御幸記に出立の王子とあるは即当社なり 出立の義詳に下條出立松原の條に弁す 古は拝殿回廊等ありしに天正の兵乱に悉く破損せしを後再興すといふ


 


 万葉集巻九に大宝元年(701年)の持統・文武天皇の紀伊行幸の時の歌として
  わが背子が使来むかと出立のこの松原を今日か過ぎなむ
が知られる。

八立稲神社




祭神 國常立尊
 合神 國狹槌尊、伊弉那岐尊、伊邪那美尊、天照大御神、須佐男尊、櫛稻田姫尊、品陀和氣尊、事代主神、保食神、月讀尊、大穴牟遲神

摂社 稲荷神社「倉稻魂神」、出立神社「天照大御神、上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神」

 人皇46代孝謙天皇天平勝宝八(756)年に勧請せし由後、天正十八(1,590)年大和大納言秀長の臣杉若越後守上の山の城主となりしより尊崇厚く武運長久を祈りたりという。
八王寺の宮と称へ奉り上の山東神社改称し、明治42年に至り稲成神社、出立神社、上の山西神社、八幡神社、合祀せしより社号は八立稲神社とし「八王寺」「八幡」の八「出立」の立「稲成」の稲を組み合わせたものである。
 昭和26年八幡神社と西神社の二社は元の宮里へ帰宮鎮座。 

 祭礼 6月30日 みそぎ夏越祭(ちの輪くぐり人形祈願)、10月9日10日 秋例祭


八立稲神社



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