秋津王子と豊秋津神社 田辺市秋津町 JRきのくに線田辺駅北700m
安井宮跡の一つは田辺バイパスの左秋津川を渡って下りにかかる北側歩道脇に碑が設けられている。この王子社は1201年の定家の『御幸記』には記載されていないが、1209年の藤原宗忠の『中右記』に出てくる。この間の創建か。
または、左会津川(二股の南側)沿いの紀伊民報を回り込んだ200m先にあったとも伝わる。同じく安井宮である。
熊野への参道は時代によって変遷する。これは洪水等の影響で河川の流れが変わったりする事にもよる。 この辺りを流れる会津川付近の遺跡は2m程掘らないと出てこない。度重なる洪水があったようである。 秋津王子は秋津の地にある王子であるが、秋津の古い場所は確定できない。
万葉集の秋津野はこの辺りだとする説がある。秋津野の枕詞は「雲」であり、まさにこの地に「雲の森」明神がある。 岩倉の小野ゆ秋津にたちわたる雲にしもあれや時をし待たむ
安井の王子社は豊秋津神社に合祀されているが、それ以外の秋津王子社の合祀の記録は神社にはないとのこと(宮司談)。
由緒 崇神天皇四十八年勧請。一名雲ノ森と言われるが、これは宝治二(1248)年、院御歌合で「むら雲のけさもゆききの雲の森いくたひ秋の梢そむらん」と詠われた縁で、自然美の社叢を偲ばせる。江戸時代には雲の森明神社と改称されていたが、秋津王子との合併のため、現秋津神社と改称と『和歌山県神社誌』には出ている。
祭礼 3月28日 小宮さんのお祭
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