熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
秋津王子と豊秋津神社

田辺市秋津町 JRきのくに線田辺駅北700m



 出立王子跡から江川大橋の手前を会津川沿いに進み、高山寺を過ぎて、竜神橋に至る。 川が二股に分かれている。その中州に当たる所に秋津王子があったと言う。

竜神橋北側の秋津王子跡


 安井宮跡の一つは田辺バイパスの左秋津川を渡って下りにかかる北側歩道脇に碑が設けられている。この王子社は1201年の定家の『御幸記』には記載されていないが、1209年の藤原宗忠の『中右記』に出てくる。この間の創建か。

田辺バイパスの安井宮旧地笠松跡


 または、左会津川(二股の南側)沿いの紀伊民報を回り込んだ200m先にあったとも伝わる。同じく安井宮である。

紀伊民報の秋津王子安井宮跡


 熊野への参道は時代によって変遷する。これは洪水等の影響で河川の流れが変わったりする事にもよる。 この辺りを流れる会津川付近の遺跡は2m程掘らないと出てこない。度重なる洪水があったようである。

秋津王子は秋津の地にある王子であるが、秋津の古い場所は確定できない。
 熊野巡覧記(寛政六年 1794年) 下秋津村 安井の王子御座を御幸記の秋津王子に当てる。
 紀伊国名所図会 下秋津村安井にある。以前は秋津荘柳原にあったとする。
 熊野道中記(享保七年 1722年) 若一王子 秋津村にあり。

 万葉集の秋津野はこの辺りだとする説がある。秋津野の枕詞は「雲」であり、まさにこの地に「雲の森」明神がある。

  岩倉の小野ゆ秋津にたちわたる雲にしもあれや時をし待たむ 
  秋津野に朝ゐる雲の失せゆけば昨日も今日も亡き人思ほゆ
  留りにし人を思ふに蜻蛉野に居る白雲の止む時もなし

 安井の王子社は豊秋津神社に合祀されているが、それ以外の秋津王子社の合祀の記録は神社にはないとのこと(宮司談)。



豊秋津神社 田辺市秋津町1554 ゼンリン

鳥居




祭神 迩迩藝尊、彦火火出見尊、鵜草葺不合尊

摂社 東御殿(東社)「豐玉姫命」、西御殿(西社:秋津王子)「伊邪那美命、伊邪那岐命、天照大御神」、小宮(五社様)

由緒 崇神天皇四十八年勧請。一名雲ノ森と言われるが、これは宝治二(1248)年、院御歌合で「むら雲のけさもゆききの雲の森いくたひ秋の梢そむらん」と詠われた縁で、自然美の社叢を偲ばせる。江戸時代には雲の森明神社と改称されていたが、秋津王子との合併のため、現秋津神社と改称と『和歌山県神社誌』には出ている。
 石段が72段と高い。

社殿


祭礼 3月28日 小宮さんのお祭

紀伊續風土記 巻之七十一 牟婁郡 秋津荘 下秋津村から


○若一王子社   境内周六十六間
 末 社  若 宮      拝 殿
村の巳の方小名安井といふにあり 御幸記に秋津王子とある是なり 秋津の義荘論に詳なり 当社舊は此地より六七町南柳原といふにあり 永正七年(1510) 寛文九年(1669)の棟札等に秋津荘柳原と書す是なり 柳原は熊野往還なり 洪水ありて秋津川の流南に移りしより社を今の地へ移せりといふ 注略


 

田辺市近辺の熊野古道地図

秋津王子跡詳解地図


竜神橋北側マップ

バイパス側歩道マップ

紀伊民報西200mマップ

わかやま観光情報 街道マップ


前の王子社、出立王子
次の王子社、万呂王子


熊野古道、中辺路 和歌山県編
熊野古道、九十九王子社
古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る