熊野古道中辺路 猪鼻王子 船玉神社
田辺市本宮町三越字猪鼻1811 地図


猪鼻王子跡




 音無川の水源付近の王子跡。
 定家の『御幸記』は猪鼻、『中右記』は亥之鼻、『九十九王子記』では井鼻。

 三越峠から古道を歩き、船玉神社前を過ぎて50m程で林道からはずれ谷に向かって下る細い道にはいる。定家に日記に、「深山にして樹木多く、苔ありて、それが枝にかかること藤枝の如し。」と表現されているが、今日でも熊野古道の中でもいかにも深山の中の雰囲気が残る道。

昼なお暗き猪鼻王子跡




さて、「猪鼻」について、平成13年2月にkokoroさんが『あさもよし掲示板』に「紀州海人について」との投稿をされており、一部を引用しておきます。

平成8年頃、埼玉県の秩父郡大滝村に住んでいた千島という旧家の方から聞いた話です(現在は70代の半ばくらいの年齢になっておられる方です)。その方の家はダムで水没する大滝村の浜平というところにあったのですが、その家に伝わる古文書に千島家の由来が記してあり、それによると千島家の先祖は「霊亀・養老の頃、紀州から船で東へ船出し、荒川を遡って大滝村内の浜平を含む4っの土地にたどり着いて定着した。千島家はもとはスズキという家名だったが、航海の途中、千の島々を見たので千島という名に改めた。

上記の投稿への瀬藤の投稿

荒川村白久の熊野神社の社伝に猪の話が出てきます。 この熊野神社の祭神は伊弉諾尊、伊弉册尊、猪鼻王子となっています。熊野古道中辺路に猪鼻王子があります。本宮町三越という場所で、まさに山中の三越川沿いの土地です。熊野本宮の元宮といわれる船玉神社や五体王子の一つの発心門王子に近いところです。船玉神社は海人の足跡と思われます。
  8世紀初頭に猪鼻王子そのものがあったとは思えませんが、千島家のルーツはこの辺りかも知れませんね。

 

  船玉神社
東牟婁郡本宮町三越 
its-mo

  

玉姫稲荷神社


祭神 船玉神
摂社 玉姫稲荷神社「稲荷神」


 熊野本宮大社は音無川に鎮座、この川の上流に船玉神社が鎮座、こんな山奥に船玉神!!?と言うのが、先ず問われます。
 澤村経夫著『熊野の謎と伝説』によれば、鎮座地を玉滝山と言い、祠から上流10m程に小さな滝があったと言う。祠の左手には岩山があり、石段が刻まれており、登ると依代らしい磐座があるようだ。

依代らしい磐座(右側下の石)


 玉滝は明治二十二年の大水害で埋まってしまったそうだ。船玉神社に並んで玉姫稲荷があり、船玉神とは夫婦神と言われている。船玉神社から音無川河口にあった熊野本宮大社へ、月に一回、「みよろの星」と言う霊魂のようなものが、音無川を行き来したと伝わっている。

 熊野坐神社即ち熊野本宮大社は熊野早玉神社(熊野速玉大社略して新宮)からの派生した神社と言う考え方がある。人類の歴史は、川の河口から上流に遡っていく場合が多いのがその理由。河口部の人々がその川の源流を崇め祭る意味で奥宮を祭り始め、それがいつの間にか本宮とされるようになったとの事。
 本宮大社の鎮座する音無川の上流の船玉神社、熊野海人が遡って行って祀ったようだ。海を根の国妣の国とする信仰の流れの人々が祀った。

 牧田茂著『海の民俗学』で、日本全国に船霊信仰を広めたのは熊野修験者や熊野巫女ではないかとの指摘がある。熊野巫女やくぐつと箱の中に人形を入れる船霊信仰との関連を予感されているようである。解明はない。

船玉神社



熊野本宮手前の古道

岩波新書『熊野古道』から

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発心門王子


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