熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
小広王子・熊瀬川王子

田辺市中辺路町野中字小広1 地図

説明板



 中川王子から国道沿いに行き、小広峠口のバス停の横の峠を登って行く。峠は昔より低くなっており、現在は535m、頂上に小広王子跡がある。小広は「吼比狼」(狼の声が聞こえる)から来ており、山深い峠だった。
 天仁二年(1109)『中右記』には、「小平緒」。寛政十年(1798)の『熊野詣紀行』には、「こひろ坂、阻道なり、小石多けれど難所なし。この辺の山すべて樹木まれなり。この峠に広王子権現。この辺までの山の姿和らかなり。此の所より熊野路は山の姿するどし。」と紹介している。それ以前の記録でも、「小広嶺茶屋三軒あり。小広王子と石に刻す。」とある。

 明治末期までは社殿はなかったものの、小広王子神社として祀られていた。明治四十二年、近野神社に合祀された。


小広王子の石碑


紀伊続風土記 巻之七十五 牟婁郡 四番荘 野中村

○小廣王子碑    境内周十二間
  村の東道湯川村堺小廣峠にあり

 

熊瀬川王子跡 chizumaru

   熊瀬川王子跡は小広王子から少し下ってから草鞋峠(わらじ)へ少し登った所の山道の上部にある。
 この王子社の存在を伝える文献としては、仁和寺所蔵の『熊野縁起・道中王子次第』(嘉暦元年・1326)に、「熊背川王子」とあるだけ。その他の記録には草鞋峠を熊瀬坂と書くものがある。熊瀬川の集落は明治二十二年の夏の集中豪雨で壊滅的被害を受け、全戸移住していったと言う。

 小広峠にあった熊背川王子は後に小広王子と呼ばれたのかも知れない。


紀伊続風土記 巻之七十五 牟婁郡 四番荘 道湯川村

紀伊続風土記 巻之七十五 牟婁郡 四番荘 道湯川村

野中村の東二里にあり 西は小広峠を村境とし、東は三越峠を以て熊野口奧の境とす (中略) 小名熊瀬河は小廣峠にあり
 

草鞋峠の説明



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