穂積神社
三重県四日市市広永町1553 its-mo

鳥居と杜


交通 三岐鉄道大矢知駅 東北1.5km みえ朝日インター南西すぐ

祭神 饒速日尊 配祀 伊迦賀色許男命、菅原道眞 合祀 天兒屋根命、市杵嶋姫命、大山祇神

新しい社殿



由緒 朝明郡の延喜式内社穂積神社の有力な論社。他には朝明郡田口村に鎮座しているそうだ。
 広永の穂積神社の創祀年代は不詳。中世以降は川島に坐し、川島明神とも称されていた。享保五年(1720)の社殿造営の記文には穂積神社の名が出てくる。この頃には穂積神社と称していた。また「団子の宮」として村民の尊信を集めていたと言う。耳利神社と同じく船木氏が社家であった。

本殿




お姿
鳥居は北西から入るように立つ。社殿とは180度反対向き。
 参道の左側(北東側)には木々が茂り、力石や石碑が建っている。南西側に社殿。社殿の前は広がっている。これは朝日インターとそれに向かう広い道路が作られているからのようだ。移転補償金でも出たのかもしれない。
 石碑は「日本精神宣揚塔」、「管公壹千年祭碑」、「厳島神社」など。また拝殿前には瓦で作った三角形が置かれていた。

10月 15日 例大祭

力石


此の力石は旧広永村時代より昭和初期まで広永の若者たちが事あるごとに「力くらべ」に使用していた石であります。朝早くから夜遅くまで粗食に耐え娯楽もなく当時の厳しい労働の中此の石を中心としtうぇ、多くの人々が語り合い生活の潤いを求めたことであろう。先人の健康にかかわる文化遺産として、皆様の「健康と長寿」を願い、ここに奉建されました。


石碑 瓦の積み上げ
 


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