神饒速日命 邪馬台国を主宰したともされる 物部氏ゆかりの神社探訪
物部氏の祖、神饒速日命が天神御祖より授けられた宝は、羸都鏡一、邊都鏡
一、八握劔一、生玉一、死反玉一、足玉一、道反玉一、蛇比禮一、蜂比禮一、品 物比禮一の十種の天璽瑞宝である。 「若し痛む所有らば、この十の宝を、一二三四五六七八九十と唱えて振るえ。 ゆらゆらと振るえ。此の如くせば、死人も生き反らむ。」 魂振り(タマフリ)である。魂は生命力、これを振り動かして活力を与える 呪術の謂れである。 この伝承は、石上神宮を古来より祀っていた石上氏の伝えを物部氏が引き継
いだとの説もある。*4 物部文書(秋田物部氏の古伝)によると、饒速日命は鳥海山に天降り、日殿
山に「日の宮」(秋田県協和町 唐松天日宮 )をおいたとされる。後に大和におもむいたとの伝承である。秋田市南郊の地
蔵田遺跡から初期段階の遠賀川式土器が出土しており、対馬海流に乗っての人と 文化の伝達があったことがわかる。まさに物部氏ゆかりの九州遠賀川流域と秋田
は太古からむすばれていたのである。 九州から大和、どちらに邪馬台国があっても、その主催者と言われる程、日 本の古代を席巻していた氏族である。果たして物部氏は単一氏族であったのだろ うか。祭祀に従事する氏族は概ね物部氏と呼ばれたのではなかろうかと思わせる 程この氏族は立ち現れるのである。そう、物部には八十氏とされる諸集団がおり 、戦闘、兵器生産、軍神祭祀に従事し、物部連によって統率されていたのである 。物部連となった氏族は時代によって幾度も交代している。物部のダイナミズム である。 日本の支配者の地位を譲らなければならない理由はそのダイナミズムだった
のだろうか。 *1 古代の製鉄と神々(真弓常忠氏)学生社
|