勝部神社
守山市勝部町339 ゼンリン


交通    JR東海道線守山駅北西300m


祭神    物部布津神、火明神、宇麻志間知命


注釈    大化五年649年物部宿禰広国別人連が祖神として、上記三神を祀った。宇麻志間知命は饒速日命の子である。 大蛇に見立てた松明の祭りは近江の奇祭「勝部の火まつり」として有名である。


三間社流造の社殿は重文である。また杜は大きく、木々も多い。湖の国の神社らしく、神社の側の小川の水はきれいである。



お祭り


例祭・松明祭(おこない)  1月8日 裸体の若者達が「ごーよ」「ひょうーよ」御悩平癒と唱えながら乱舞する。

『平成祭礼データ』から 

 人皇第三十六代孝徳天皇の大化五年(649年)八月十三日、物部宿弥広国(ものべすくねひろくに)は、当時勝部村一帯の土地を領有し、その祖神を奉祀して物部郷(勝部・千代・蜂屋・野尻・出庭、・各村)の惣社として、これを物部大明神と称しました。
 人皇第五十五代文徳天皇の仁寿元年(851年)正月には、物部布津神に対し正六位上を、続いて陽成天皇元慶六年(882年)十月には同神に対し従五位以下を、いずれも神位階として授けられました。
 中世武家時代に入り、武家をはじめ一般の尊敬も一層高まって参りました。就中、佐々木氏は深く当社を信仰し、出陣の旗竿は、きまって当社林の竹を使用せられ、明応六年(1497年)佐々木高頼氏は、大願成就祈願のため御本殿を造営されました。
 元亀年間には、織田信長公が野洲・栗太二郡の起請文六十通を当社に納められ、文禄三年(1594年)八月、豊臣秀次公は神田の寄付と御本殿の修理を行なわれました。
 以上

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 住吉神社
守山市浮気町152 ゼンリン

交通    JR東海道線守山駅東徒歩15分
祭神    櫛玉命・饒速日命、底筒男命、表筒男命、中筒男命
注釈    物部玉岡宿禰道足が天平11年739年に社殿を創立した。勝部神社もあり、この地域は物部氏の色が濃い。


お祭り

例祭・松明祭(シュウシマイリ)  1月8日 「へーよ」平癒と連呼する。

 日本の神々5(小栗栖健治)白水社


物部氏ホームページ


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