水度神社(みと)
城陽市寺田水度坂87 its-mo

鳥居



交通  JR奈良線城陽駅東1km

祭神 天照御魂神(天火明命)、高弥牟須比神、和多都弥豊玉比売神
現在の祭神は、天照皇大神、高産靈神、豐玉姫命の三座となっている。

社伝 創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれば、清和天皇の貞観元年(859)従五位の下の神位を授けられ、延喜の制には小社に列せられる。旧地は境内領東に往古鴻が巣を結んだ鴻の巣山の峯つづきにあたる大神宮山であったと伝う。現在の地へは鎌倉時代の文永5年(1268)に旧地より遷し奉り今日に及ぶ。


 本殿は、正面一間、側面二間の変化に富んだ流れ造り破風様式(千鳥正面破風)で、簡素にして優美な建築である。社殿棟札(重要文化財)によれば、室町時代の文安5年(1448)の建立になる。その後、桧皮葺替えの修理を重ね今日に至る。重要文化財。

流造千鳥正面破風様式の本殿と社殿


注釈  城陽市水主に水主神社が鎮座する。そこから水度神社、旧社地(大神宮山頂)の方向は夏至の日の出の方角と言う。また樺井月神社の旧社地、大住の樺井月読神社へも同一線上に並ぶと言う。水主神社との関わりが深い事、大神宮山が太陽祭祀の聖地ようである事、水度神社の祭祀氏族三富氏が火明命を始祖とする伝承を持つことなどから、主祭神は天照御魂神であったのが天照皇大神に置き換わったのであろう。

流造千鳥正面破風様式の本殿



 山城国久世郡の式内小社。参道は約1kmに及ぶが車が多く歩いているのは年寄りと小生のみ。 鴻の巣山散策ルートの拠点となり、中年以上の夫婦づれが多く歩いている。また七五三やお宮参りの参拝客がひっきりなしであった。式内大社の水主神社はひっそりしていた。


お祭り
例大祭  9月30日から3日間


『平成祭礼データ』から 

 創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれば、清和天皇の貞観元年(859)従五位の下の神位を授けられ、延喜の制には小社に列せられる。明治6年には村社、同15年には郷社に、同40年には府社に昇格、現在は社格が廃止され、神社本庁に属する宗教法人水度神社と称する。 旧地は境内領東に往古鴻が巣を結んだ鴻の巣山の峯つづきにあたる大神宮山であったと伝う。現在の地へは鎌倉時代の文永5年(1268)に旧地より遷し奉り今日に及ぶ。由来寺田郷の産土神として氏子の信奉篤く、近年近郷よりの参詣者もその数を増す。
 −本殿は、正面一間、側面二間の変化に富んだ流れ造り破風様式(千鳥正面破風)で、簡素にして優美な建築である。社殿棟札(重要文化財)によれば、室町時代の文安5年(1448)の建立になる。その後、桧皮葺替えの修理を重ね今日に至る。現在は重要文化財に指定されている。
 以上

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