饒速日山かも 交通 近鉄奈良線生駒駅 西へ2km参道を登る。 由緒 真言律宗。正式名は「都史陀山大聖無動寺」と言う。 延宝六(1678)年、宝山湛海の開山。本尊は不道明王だが聖天さんと呼ばれる大聖歓喜自在天への信仰が強い。 この寺の信仰は般若磐と呼ばれる安山岩の突起に出来ている洞穴に見る巨石信仰にある。 特に生駒市から南へ行った処から見る岩山にはただならぬものを感じるのである。現に役小角、空海の修行の地との伝承がある。 生駒に拠点を置いた『記紀』に表れる最古の氏族は、長髄彦や物部の遠祖の饒速日尊である。彼らを奉じる氏族はこの磐山を見逃すはずがなく、聖地として敬ったのではなかろうか。 生駒山の北部に饒速日山があり、太陽信仰の対象としての神体山であった。そこには社殿もなかったが天照御魂神社の原型の祭りの庭であった。後に、饒速日命を祀る「上ノ社」がこの頂上に設けられたと言う。 この饒速日山は現在二箇所はそうではなかったかと言われている。一つは、生駒山を越える直越と言われる道筋の日下山(哮峰とも呼ばれる。)とのこと、もう一つは交野の磐船神社の少し北側の丘とも言われている。 神奈備ではこの宝山寺の岩山こそ、そのただならぬ様子から饒速日山にこそふさわしいように思う。 『大和名所図会』には次の様な話が載っている。 宝山寺の奥院があり、白瀧弁財天が鎮座、更に奥院より高い場所にまさに岩山と般若窟を遥拝し、これを神体とする神社が鎮座している。
福徳神社と言う。福と徳の神である福徳神とは大陸では土地神であり、土地公と呼ばれる。 福徳神社は里宮と思われる場所にも鎮座している。
たたずまい 岩山
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