磯城郡田原本町宮古60字補屋 ゼンリン
鳥居 交通案内 田原本駅(近鉄) 北西 1km 祭神 石凝姥命 摂社 春日神社「天兒屋根命」 由緒 大和国城下郡の式内社。 鏡の鋳造を業としたこの地に居住した鏡作部の氏神である。鏡作部は物部氏の一族である。 何故この地域で鏡が造られたのか。原材料はどう調達したのかが問題である。 古代、大和平野の中央(国中)は湿地帯であった。この地域も当然湿地帯であり、ところどころに微高地があった。 町の名前の田原本も低地の表す古語トオから来ているとされる。もっともタタラからとの説もあるが。 真弓常忠氏の名著「古代の鉄と神々」によれば、湿地に繁茂する葦や薦の根元にスズがなると言う。これを鍛造して鉄製道具を造ったと推定されている。 氏は銅鐸を埋めてスズの成るのを祈ったと推定される。今も赤土の多い穴師や三輪山からの水流は当時には相当な鉄分を含んでいたであろう。スズが良く取れたようである。 古代から倭鍛冶としてスズから鉄製品を取ってきた技能者集団が居たのであろう。この集団はまた新たに伝わってきた砂鉄から鉄を採取する韓鍛冶をも取り入れたようであり、長く栄えたと伝わる。 物部氏が配下におさめたのであろう。 保津の鏡作伊多神社のサイトで紹介したのだが、この宮古の伊多神社かた八尾の鏡作天照御魂神社と小坂の麻気神社とは一直線上に位置するとの事であるが、互いに関係があるのだろうが、意味はする所は解らない。 鎮座地の字は補屋である。ホヤはオホヤで大屋、大屋毘古命は伊太祁曽神であり、伊多の名がここから来たと想定できる。 お姿 杜は深い。社殿も古く、楠、槙、杉の木々が多い。平成10年の台風7号のダメージで本殿が壊されたようであり、平11年9月には再建中であった。 社叢 平成9年5月の社殿
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