鏡作神社(かがみつくり)
磯城郡三宅町石見650 ゼンリン


鳥居

交通案内
石見駅(近鉄) 東 300m

祭神
石凝姥命
白鬚神社「白鬚明神」

由緒
 この地に居住した鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神である。
 冬至の日に三輪山頂上から朝日が出る。夕日は二上山鞍部に沈む。真南に畝傍山山麓、多神社がある。


位置関係



 神社の南方に石見遺跡が発見されている。ここからは埴輪、木製品が出ている。人物、家、盾などの形象埴輪や円筒埴輪である。直径30m程度のおおまかには円形の周囲にさまざまな埴輪を並べさらに木製品を立ててその周囲に幅6mの堀を巡らしていた。 これはきわめて特異な祭祀遺跡ではないかと推定されている。 5世紀末から6世紀初頭の遺跡と推定される。 「祭天の儀を背景とする天的宗儀の色彩を持つ」とされる。この様な事から石見の神社の地は古代祭祀の聖地であったと言われる。

 石見の鏡作神社が八尾(鏡作坐天照御魂神社)に遷座したものとの説があるが、鏡作坐天照御魂神社の社叢は2,000年の歴史があると言われ、これから見ると逆の場合も考えられる。 その場合には、祭神は火明命、石凝姥命、大糠戸命の三柱とも考えられる。


 出雲国の隣の石見国の人々がこの地に住んだ可能性がある。石見は五十猛命の上陸の地の伝承や物部神社が鎮座し物部氏の祖神の宇間志麻遅命が祭神である。 金属生産に大いにからむ物部氏がこの地に住むにあたってこれらの神々を勧請しないはずがない。神社は三本殿を持つ。三柱の神が祀られているはずである。 石凝姥命に加えて五十猛命と宇間志麻遅命と考えるのが地名である石見からの連想として成り立つ。

 この石見の鏡作神社からの分社とされる宮古と穂津の鏡作伊多神社には摂社として宇間志麻遅神社があり、また神社の名は伊多である。
 石見、宮古、穂津の鏡作神社は一直線に並ぶ。この位置関係からも石見が起点である。

 

お姿
 湿地帯であったらしく、灌濠集落内にあり、回り込まないと行けない。行き止まり、T字形、L字形の小路がある。神社の周りも環濠である。高い木々が多い。楠、杉、樫、蘇鉄もある。 本殿は小さいが風格がある。


本殿



お祭り
例祭 10月第二土曜日



日本の神々4(大和岩雄)白水社
大和の原像(小川光三)大和書房

物部氏ホームページ


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