鏡作麻気神社(かがみつくりーまけ)
磯城郡田原本町小坂 .its-mo


鳥居



交通案内
近鉄 田原本駅 北 1.3km 鏡作坐天照御魂神社の北東300m



祭神
天糠戸命(天目一箇命の説もある。)
摂社 白山社、的場社



由緒
 鏡作部の氏神である。祭神につては天糠戸命説と天麻比止都命説があり、社記は天目一箇命と天津麻羅を同一神と見て、天麻比止都命を採っている。

 鍛冶を職業とする部を配下に持つのは古代氏族の多くがそうであったが、この地域は物部氏の支配が及んでいた所であり、また物部氏の一族に鏡作部がある事から天目一箇命とは思えない。
 鏡作部の祖神は天糠戸命であり、その子として石凝姥命が系譜つけられているが、この神は鏡の製作の守護神の性格がある。
 さて天津麻羅のマラへの解釈であるが、マレビトであり客人で、婦人のためのマレビトとしての男根に通じる。後に皇族のマロに使用された。 ほかにマラを真裸とも理解できる。タタラを吹く作業や鍛造の作業はまさに焦熱地獄の中での作業である。男達はおそらく真裸になっての作業を繰り返したものと思われる。またこの姿は女神である石凝姥命の守護を多く得られるとの信心もあった。 マラでマラを出していたのであろう。同じ語源である。


 倭鍛冶は5世紀始めに新羅から持ち込まれた技術とされ、5世紀後半には韓鍛冶の技術が百済より渡来した。この地の鏡作部はこれを学び、長くこの地で栄えたと言う。

 播磨国風土記に「昔、但馬国の人伊頭志君麻良比、此の山に家居しき」とある。出石である。天日矛の終焉の地である。矛もまた男根の異称である。 

 式内の麻気神社は、越前丹生郡、足羽郡に麻気神社、近江高島郡に麻希神社、丹波船井郡に麻気神社、隠岐知夫郡に真気命神社があり、多くは隣接して製鉄遺跡、金属精錬の伝承がある。*1 この配置は兵主神社や天日槍命に重なっているように思えます。



お姿
 東面する本殿の背後には竹が密集している。それ以外にも杉、楠などの大きい木が多い。
 質素にたたずんでいる神社である。東に向いているのは穴師の兵主神の方面であり、この神を祀った氏族との関わりを示している様に見える。



社殿



*1 日本の神々4(大和岩雄)白水社
『式内社調査報告3』

物部氏ホームページ


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