恩智神社(おんじ)

八尾市恩智中町5-10 its-mo

一の鳥居


交通 恩智下車東へ1Km(恩智山中腹)

   

祭神
 第一殿 大御食津彦命、大御食津姫命
 第二殿 春日辺大明神(天川神社)
 第三殿 天児屋根命(春日大明神)

本殿は最古の様式の「王子造」




由緒
 河内国高安郡の式内大社で、月次、相嘗、新嘗の祭に官の幣帛を受ける名神大社であった。

 鳥越憲三郎氏は『大いなる邪馬台国』で祭神は生産の神で饒速日命ではないが物部本家の神社との見方をされる。
 これは旧社地(現頓宮)東北500m付近の垣内山と都塚山から銅鐸が発見されていること。聖地であったと言える。

 また西方の八尾市街地は物部氏の本拠地であったこと。
 大祓の時、神輿が泉州堺の大浜へ神幸する。この間は枚岡神社の神主が留守をする。実質、社格は河内一宮の枚岡神社より上であった。
これらが物部本家が当初斎祀った悠遠の歴史を持つ総社と位置づける理由である。

 神社で頂いた由緒書きによると、創建は雄略天皇年間、奈良時代に藤原氏のより再建され、祖神「天児屋根命」を常陸の香取神宮より勧請、その後枚岡神社を経て貸すが大社に祀ったという。 これを持って元春日と呼ばれる所以と説明している。また神功皇后三韓遠征時、当社の神が住吉大神とともに海路、陸路を安全に道案内し、先鋒あるいは後衛となっ加勢し、その功により神社創建時朝廷から七郷を賜ったとする。 また、祭神については、大御食津彦命は天児屋根命の五世孫、大御食津姫命は伊勢神宮外宮豊受姫大神の異名同神としている。

  恩智駅近くの天王杜が旧社地で頓宮がある。戦国時代恩地左近が築城時、神社より高い所に城を置くのはおそれ多いとして現社地へ遷宮した。
この天王森は縄文遺跡として名高く、中期の遺物には紀伊山地を原産とする緑色片岩製の石包丁などが出ている。縄文時代の交易を表している。


たたずまい
 神奈備は高安山。北に1KMに天照大神高座神社がある。この神社との間に銅鐸が出土している。 南2KMに鐸比古鐸比売神社が鎮座する。 恩地駅から天王森を越えしばらく行くと立派な鳥居がある。正面に高安山が見える。石段を登ると拝殿と奥に本殿がある。手入れは行き届いている。 拝殿は最近再建されている。

天王杜からは石器時代、縄文時代、弥生時代の遺跡が出ている。神社跡は歴史の倉庫であることがひしひしわかる。

天王杜




摂社
天照大神、櫛明玉命、事代主命、熊野夫須美神、安閑天皇、住吉大明神、三輪大神、愛宕神社



お祭り
 4月 3日 祈年祭 五穀豊穣を祈る。
 8月 1日 夏越しの御祓祭
10月17日 天王社(牛頭天王社の祭)
11月26日 卯辰祭 五穀豊穣を謝する。


河内名所図会 恩智神社



大いなる邪馬台国(鳥越憲三郎)
日本の神々3(大和岩雄)

物部氏ホームページ
神奈備にようこそに戻る