神須牟地神社(かみすむち)
大阪市住吉区長居西2-1-4

東の鳥居


交通 JR阪和線長居駅西200m its-mo


祭神 神産靈大神、手力男命、天兒屋根命
配祀 天日鷲命、大己貴命、宇賀魂命、少名彦命、素盞嗚命、住吉大神

 『大阪府神社史資料』では祭神不詳または素盞嗚尊

拝殿


注釈 摂津国住吉郡の式内社。住道の神である。境外社に式内社の多米(ため)神社(苗見神社、種貸神社)がある。境内社に農神社(大己貴命)がある。
 久しく荒廃していて元和元年(1615年)に再建された。
 この地は住吉大社の東1500mにあり、上町台地から続く古代大阪の陸地の南端に近い。
 中臣須牟地神社の旧社地とともに大和への道筋にあたる交通の要所である。呉客道とか磯歯津路と呼ばれたようだ。

 鎮座地については移動しているようだが定かではない。『神社明細書』(昭和二七年)には、初め、住吉大社の北方住道と称する地(住吉町道北、住道堂ありと言うが未確認)に鎮座していたが、楯原(大阪市平野区喜連)に遷座、その後景勝の地であった長居浦である現社地に三遷されたと書く。 また中臣須牟地神社に残されている『叢社記』に寄れば、「神須牟地神社は当社の西の天神山にあり、少彦名神を祀る。」とある。この木額は18世紀前半に記されたものであり、天神山に鎮座していた時期については明確ではないが、新羅からの客への神酒を醸していた頃のことであろう。

 『新撰姓氏録』摂津国未定雑姓に「住道首伊弉諾尊男素盞嗚命之後也」とあり、祭神は素盞嗚尊で、住道首がその祖神を奉ったのが創始ともされる。
 古来酒作りの神として、また医薬の神として崇敬が篤かった。新羅客の入朝の際賜う神酒を醸造した住道社を当社と『社伝』は見るようだ。

 鎮座地は若干の台地で、かっては寺岡との小字でよばれていた。夙とも呼ばれていた。神域はきれいである。社殿も厳かである。


お祭り 夏大祭 7月21日  秋祭 10月21日

農神社


平成祭礼データ

神須牟地神社
御由緒書
延喜式内の古社であって、三の宮と称され、遠く二千年前の御創建である。 御祭神は、主神(神産霊大神、手力雄命、天児屋根命)、相殿(天日鷲命、大己貴命 、宇賀魂命)、追祀(少名彦命、素盞嗚命、住吉大神)である。 本社は古来酒造の祖神として将又医薬の祖神として衆庶の信仰厚く、又文武両道の守 護神として御神徳顕著であった。
社領は住吉大社二万二千石の中の三百七十五石余りであったが、社領減地の節没収さ れたと記されている。
本社殿は慶長年間、兵火にかかったが豊臣の浪人であった多賀谷氏、秦氏、小山氏、 岡田氏等の協力のもと再建し、元和四年八月二十一日、遷座の式が挙げられ、この日 を祭典の日と定められている。
元文元年九月、徳川幕府は本社および多米神社の廃滅に瀕せしを憂い幕吏菅廣房に命 じ「神須牟地社」「多米社」と刻せる石碑二基を双方の地に建立せしめられ、今尚現 存している。境外末社多米神社は多米連の建てた神社と言われ、延喜式内の旧い社で 、別名を「苗見神社」とも「種貸神社」とも言われ、又「鎮座の社」「苗見の森」「 種貸の森」又はただ「明神さま」とも唱えられ浪速名所の一つに数えられていたので ある。多米神社の御祭神は宇賀魂命、神稚魂神、保食神とされている。境内末社農神 社は農耕の神として農民の尊敬厚く、今の長居墓地東北百米の三つの池の中央に土塀 をめぐらし一本の松の木の下に社があったのである。農神社の御祭神は大己貴命。

当神社御祭礼日
[夏大祭(七月二十一日)、秋例祭(十月二十一日)、朔日祭(毎月一日)、月次祭 (毎月十五日)、月例祭(毎月二十一日)、元旦祭(一月一日)、節分祭・厄除神事 (二月節分の日)、七五三神詣(十一月十五日)、新嘗祭・勤労感謝祭(十一月二十 三日)、大祓式(六月三十日・十二月三十一日)、その他祝祭日]

参考」 『式内社調査報告』

物部氏ホームページ


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