UGA神功皇后

1. 年表

仲哀二年正月 気長足姫尊を皇后とする。

仲哀二年二月 天皇・皇后は角鹿の笥飯宮に行幸する。
仲哀二年三月 天皇はひとり紀伊国の徳勒津宮に巡狩する。この時熊襲国が反逆したので征討のため穴門に行幸する。
仲哀二年六月 天皇は豊浦津に泊る。皇后は角鹿を発して浮田門に至る。
仲哀二年七月 皇后、豊浦津に泊り、海中に如意珠を得る。
仲哀八年正月 筑紫の灘県に至り橿日宮に滞在する。皇后、橿日浦で髪を解いて禊をし、海に臨んで神占の儀礼を行った。これは巫女の行為である。
仲哀八年九月 天皇が熊襲を討とうとすると皇后に神がかりし、新羅征討を指示するが神の言を信用しない天皇は熊襲と戦い敗北する。「皇后の御腹にいる御子が国を得られるだろう。」との託宣を行った。住吉大神の託宣とおもわれる。
仲哀九年二月 天皇が橿日宮にて突然没し、遺体を穴門に移し豊浦宮で密かに無火残警行う。
伸哀九年三月 皇后は自ら神主となって小山田邑の斎宮に籠り神憑る。神々の託宣を得て祭を行い、臣下に命じて熊襲国を討たせる。
仲衷九年四月 肥前の松浦県に至り河で祈祝を行う。橿日浦に還り新羅征討の準備をする。
仲哀九年九月 師船を集め西海を望み神の託宣を得る。石で腰を挟み開胎をおさえる。
仲哀九年十月 対馬を発ち新羅に至り国王を服属させる。
仲哀九年十二月 新羅より帰還して筑紫の字瀰で誉田別皇子を産む。
神功元年二月 穴門豊浦宮に移り、京へ帰還する。麑坂忍熊両王が犬上倉見別らを将軍として反逆の兵を挙げるが、麑坂王は死ぬ。
神功元年三月 武内宿祢は忍熊王の軍勢を近江に撃滅する。
神功元年十月 皇后を尊び皇太后と称す。
神功二年十一月 仲哀天皇を河内の長野陵に葬る。
神功三年正月 誉田別皇子を皇太子とし、都を磐余に造る。
神功五年三月 新羅が朝貢する。質の微叱許智伐旱が本国に逃げ帰る。葛城襲津彦が新羅に行き、捕虜を連れ帰り、葛城地方に住まわせた。
神功十三年二月 皇太子が角鹿の笥飯大神を参拝した。
古事記 ここで仲哀の治世が終わり、応神の治世の始まりとする。その間は空位としている。


神功三十九年(239 卑弥呼) 「魏志に云はく、明帝の景初の三年の六月、倭の女王、大夫難斗米等を遺して、郡に詣りて、天子に詣らむことを求めて朝献す。太守都夏、吏を遺して将て送りて、京都に詣らしむ」。
神功四十年(240 卑弥呼) 「魏志に云はく、正始の元年に、建忠校尉梯携等を遺して、詔書印綬を奉りて、倭国に詣らしむ」。
神功四十三年(243 卑弥呼) 「魏志に云はく、正始の四年、倭王、復使大夫伊声耆、掖耶約等八人を遺して上献す」。
神功四十六年(364) 斯摩宿禰を卓淳国(大邱)に派遣。百済王と倭使との交渉を記す。百済国は日本の場所も通交手段も知らない。
神功四十七年四月 新羅・百済両調使の争いを調停する。 
神功四十九年三月 荒田別・鹿我別を派遣して新羅を攻める。
神功五十年二月 荒田別帰還する。
神功五十一年三月 百済使久弖ら来朝、千熊長彦を百済へ派遣する。
神功五十二年九月(372) 百済使久弖ら来朝し七枝刀など種々重宝を献上する。
神功六十二年(382)新羅が朝貢しないので葛城襲津彦を派遣して討たせる。
神功六十四年(384) 百済貴須王尭じ、枕流王立つ。
神功六十五年(385) 百済枕流王菱じ、辰斯王立つ。
神功六十六年(266 台与)「是年、晋の武帝の泰初の二年なり。晋の起居の注に云はく、武帝の泰初の二年の十月に、倭の女王、訳を重ねて貢献せしむといふ」。
神功六十九年四月 皇太后崩ず。
神功六十九年十月 狭城盾列陵に葬る。


2. 神功皇后の業績について

 A 仲哀天皇は橿日宮を行宮として、住吉大神の託宣を聞いた。

    筑紫国糟屋郡香椎郷の地には4世紀後半の古墳や製鉄遺跡が出土しており、古代では港に面した軍事拠点であり、韓半島への出兵の拠点であった。ここが巫女女王の大帯姫の伝承地となっていた。
 大帯姫の神威は海人を通して朝鮮半島にまで及んでいたものと思われる。この大帯姫が『播磨国風土記』に見るように、息長帯姫に結びつき、神功皇后の三韓征伐の物語に発展していったものと思われる。
 また、大帯姫の彦神である大帯彦忍代別4(景行天皇)の熊襲退治の物語も姫神の神威によるものだったと思われる。

『播磨国風土記』から
播磨国印南郡 仲哀天皇が皇后と一緒に筑紫の熊襲の国を征伐のため下っておいでになったとき御舟が印南の浦にお泊まりになった。(『紀』とは違う九州行きである。)

飾磨国飾磨郡 因達と称するのは、息長帯比売命が韓国を平定しようと思って御渡海なされた時、御船前の伊太代の神がこの処においでになる。だから神名によって里の名とした。(射楯の神である、五十猛神である。水軍の祀った神)

播磨国揖保郡 宇須伎と名付けるわけは、大帯日売命が韓の国を帰順させようとして海を渡ろうとされた時、御舟が宇頭川の泊に宿られた。

 なお、息長帯比売命の新羅平定の話は、常陸、摂津 肥前 筑紫 の各国の風土記にも記載され、広く民間伝承として語り継がれていたようだ。


B 皇后、新羅を征伐し、三韓を服従させる。

 高句麗好太王(391−412)の碑(414)の前文に「倭が渡海して新羅を破り、百済と共に臣民とした。」とある。倭の半島進出は史実と思われる。
 『宋書 倭王武の上表文』(478) 昔より祖禰先自ら甲冑を着て山川を渡り、休むこともなく、東は毛人五十五国を征す。西は州夷六十六国を服し、渡って海北九十五国を平定した。とある。この海北は朝鮮半島の事で、やはり倭の半島進出は歴史的事実である。
 史実として、遠い昔、倭国が大和を中心として国内平定を行い、さらに半島へ兵を出し、一時は支配していた王権の記憶があった。四道将軍・ヤマトタケル・神功皇后らの伝承であろうか。


C 皇后の御子出産伝承

 海の母神と御子神の伝承は世界各地にあり、日本では豊玉姫と鵜芽葺不合命の異常出産譚が有名である。住吉神社の最古とされる対馬の祭神はまさにこの母子神である。海藻のように若々しく生命に満ちている神である。
 神功皇后も懐妊中に渡韓、石による出産の引き延ばしなど、異常な出産の物語がある。
 大帯姫(オオタラシヒメ 子を育てる偉大な母神)と息長氏の娘(オキナガヒメ)が習合して、オキナガタラシヒメとなった。これは舒明天皇(オキナガタラシヒヒロヌカのすめらみこと)以降天武天皇の頃までが息長氏の全盛期で、この頃に息長氏が伝承を膨らませてきたものと思われる。
 河内政権の始祖王応神天皇を神の御子とした。


D 麑坂忍熊両王の反逆

 両皇子の母親は大中比売命、この人は景行天皇の孫とされる。一方の応神天皇の母は神功皇后で、父親は開化天皇の五世孫、母方は天日矛命の系統。出自は大中比売命が良い。
ただし、大中比売命は景行天皇とその玄孫(伽具漏比売命)との間の子の子とされている。玄孫(四世孫)を一八才でつないでも適齢期には九十才の年の差があり、ウソっぽい系図にはなるが、麑坂・忍熊両皇子は誉田別皇子よりは仲哀天皇率いる政権の正当な後継者との認識が残っており、>誉田別皇子を神に指名された後継者との立場を強調する説話となっている。
Uga近江宇宙有名地(平二四年七月)参照。


E 皇太子が角鹿の笥飯大神を参拝した。『古事記』には以下の通り。

皇后は皇太子を禊のために角鹿の伊奢沙和気大神(イザサワケノオホカミ)の命(ミコト)のもとにやった。大神が皇子と名を交換したいとの申し入れがあった。翌朝、浜にでると入鹿魚(イルカ)が打ち上げられていた。そこで大神を御食津大神と命名した。ケの神である。今、気比大神と云う。
皇子が禊ぎをする必要があったのは、麑坂忍熊両王を殺したゆえと考えられている。しかし、それならば皇后も禊ぎをすべきである。何故、皇子だけに命じたのか。皇子は仲哀九年(神功ゼロ年)の誕生、敦賀行きは神功十三年、皇子は十三才、元服の年齢である。成人儀礼と考えるべきだろう。




F 『住吉大社神代記』蜜事

 是(ここに)神、天皇に謂(の)りて曰はく、「汝王(いましみこと)、かくの如く信(う)けたまはずは、必ず其の国を得じ。唯今、皇后懐姙(はらま)せる子(みこ)。盖し得ることあらんか。」 この夜に天皇忽に病發(やみおこ)りて以て崩(かむ)さりましぬ。ここに皇后、大神と密事あり。(俗に夫婦の密事を通はすと曰ふ。) 
 秘め事は天皇が死んだ後のことだから不倫ではなく、御子を懐妊した後なので、御子は仲哀天皇の皇子ということである。
 しかし、世間の口には戸は立てらぬもの。香椎宮のお隣の筥崎宮の神託に次のようなものがある。延喜二十一年 誉田別命 其故者香椎宮波我母堂。住吉宮波我親父也。
 神と神妻(巫女)の聖婚の物語と解すべきであり、誉田別命は神の子と思われていた。


 
G 七支刀

 「考古学は記紀を裏切らない」と云われる。巻向遺跡の発掘などが典型的な例である。七支刀は出土品ではなく、古来より石上神宮に伝世されてきた神宝である。ものは刀と云うよりは槍である。『日本書紀』神功五十二年九月(372)に、百済王から七枝刀・七子鏡などが贈られたとの記事がある。七子鏡はボストンの美術館にあると云う。


H 宇佐宮の大帯姫廟神社

  弘仁十四年(823)大帯姫の細殿が建立された。平安初期に八幡大神を応神天皇としたので、大帯姫を神功皇后とした。おそれく香椎廟からの勧請と思われる。


3. 神功皇后の実在について

朝鮮出兵や河内での応神天皇の擁立にの裏には、神功皇后のような女傑がいて、多くの伝承や多くの伝承地を残してきたと思えてならない。


参考文献 塚口義信『神功皇后伝説の研究』、『ヤマト王権の謎をとく』
     前田晴人『卑弥呼と古代天皇』

Uga史話

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