朱智神社
京田辺市天王高ケ峰25 its-mo

拝殿


交通
三山木から水取きバス水取 30分で天王
京田辺から天王行きバス


祭神
迦爾米雷王命、 配 建速須佐之男命、天照國照彦火明命



由緒
 山城国綴喜郡の延喜式神名帳の朱智神[スチノカミ]に比定。 主祭神の迦邇米雷王は開花天皇の曾孫で神功皇后の祖父、垂仁天皇の時代にこの地を治め、その子孫が朱智姓を名乗った。

 綴喜郡は古代息長氏一族に関連深い地である。三山木から西2kmにある、地方最古の寺である普賢寺(現観音寺)も山号を息長山と言う。この辺は息長氏の本拠地であったともされる。

 仁徳天皇時代、この地より西方の西峰山頂に創建、宣化天皇元年(535年)この地に移されたとも云う。

 社記に「大宝元年(701年)に山城・河内・大和の国境の山に白髪の老翁の姿をした神が出現、素盞嗚尊を名乗ったと言う。時の郡司の息長兼理が山の頂に社殿を建てて「大宝天王」と称した。
 延暦十二年(793年)大宝天王と朱智天王を同殿に祀ったと言う。
 天照國照彦火明命が祀られた由緒は不明。



たたずまい
 高ヶ峰と言う山に鎮座、ここからは山代と大和をつなぐ平地がよく見える。
 本殿は一間社流造・檜皮葺である。 向拝の木鼻の表には牡丹、裏には狐を彫りだし、正面の蟇股は唐獅子や牡丹等が見える。1612年再建の桃山時代の様式を伝える。
山中に鎮座、木々に被われて、奥ゆかしさを感じる。
 氏子の方々が掃き掃除をされていた。

本殿




お祭り

 7月14日 1日間 祇園祭

10月18日 1日間 例祭(秋祭り)

『平成祭礼データ』から 

 当社はもとこの地より西方3町余りの所に有り仁徳天皇69年に社殿を建てて朱智天王と号しました。迦邇米雷王は開花天皇の曾孫で神功皇后の祖父に当られ垂仁天皇御代にこの地を治められて、その子孫朱智姓を名乗られました。須佐之男命が相殿として祭られたのは垣武天皇の御代に大宝天王(牛頭天王)を現在の京都八坂神社に遷し毎年の榊遷しの行事を行いましたが何時よりか無くなりました。明治維新に至り神祗官に上請して天王社を古名の朱智神社に復し明治6年6月郷社となりました。
 以上

日本の神々5(白水社)、京都山城寺院神社大事典(平凡社)

京都山城の神々


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