糸井神社
奈良県磯城郡川西町結崎68 its-mo

交通案内
近鉄結崎下車真西に800m



祭神
豊鍬入姫命
あるいは漢織呉織の霊



由緒
 式内社糸井社縁起には「応神天皇14年百済国より博士王仁来朝、この時呉国より綾は・呉はと言う織女来りて・・(中略)・・織女、黒田いほ戸の宮の辺にて始めて綾織をおらしむ。是を機織殿と言う。また結崎の明神或いは絹引神とも申すなり。とある。本殿は豊鍬入姫命(是は大倭明神なり)同二ノ宮猿田彦命(是はちまたの神と申し春日の若宮也)同三ノ宮綾羽明神同四ノ宮呉羽明神」とある。

 この社の鎮座する川西町の南は三宅町である。糸井造は三宅連あるいは伊蘇志臣と同祖で新羅国天日槍の後裔と見られる。糸井造の斎祭る神社であった可能性があるが、判明している糸井荘跡はここから南東3km程離れており、直接の関係は見えない。式内社調査報告には綾羽・呉羽の両神が本来の祭神と推測し、機織に関連した氏族の秦氏が開拓した土地に、殖産の神を祀ったと見ている。

 秦氏の分布と天日槍に関連する土地とは多く重なっていると言う。ここもその一つの例とできるかも知れない。

鳥居



神社庁平成祭礼データから
 大和平野の真ん中川西町結崎に鎮座の糸井神社は式内の古社ですがご祭神については豊鋤入姫命といわれているが,また一説には綾羽呉羽の機織の神を祀ったとも伝えている。 本殿は春日大社の古社殿を移築したといい伝えられているが,結崎が興福寺領であったことから誤りがなく建物は江戸時代中期を下らないものといわれている。 境内には石燈籠は多く慶長八年(1603)のものには〔大和結崎大明神〕ときざまれている。また元禄二年(1689)の棟札には〔結崎大和大神宮〕と書かれてあり安永七年(1778)の頭屋の記録帳に〔大和宮祭礼〕とある。このように中世以後〔結崎宮〕として結崎郷を中心に栄えたと思われる。 拜殿の天保十三年(1842)の絵馬には雨乞のなもで踊りの画面に西瓜の切り売りをしている姿が描かれている。なお祭は十月第四日曜日に変わり頭屋の奉弊行事でにぎわう。



お姿
  大和盆地の中央に鎮座、この当たりは低地であり湿地であったと思われる。 砂地の土地である。古墳時代には農地位にはなっていたのかも知れない。江戸時代は西瓜の産地であった。寺川の東側に接している。
 社域は広い。殆どが社叢であり、社域の南側に社殿が鎮座している。社叢は荒れている様であるが、古さを感じるたたずまいである。

春日大社古殿を遷した本殿


雨乞い踊りと西瓜の切り売りの絵馬



お祭り
 秋季例祭 10月第4土曜日夜中の供物、翌日大祭 頭屋行事で有名。

 日本の神々3 白水社


兵主神・邪馬台国と天日槍命・赤留比賣命

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