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大阪府守口市土居町61番地mapfan 交通案内
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池田市吉田町 ゼンリン 交通案内 阪急池田よりバス久安寺方面木部下車西北500m 祭神 細川水大神、五十猛尊 由緒 摂津国豊島郡の延喜式内小社に比定されている。『摂津名所図会』には、「吉田邑慈園寺山にあり。延喜式内。今毘沙門天と称し、久安寺奧院とす。」とある。
平安中期の坂上氏の一族土師氏が土着し、その伝承を持ち込むとともに、秦氏の伝承を引き継いだものであるとされる。
鎮座地は吉田と呼ばれる池田市北部で、細郷と言われていた地域。土地が高く水はけがよいので風水害などのよる大きな被害もなく、植木の栽培・出荷を主な生業とする農村部である。植木業の歴史は戦国時代に遡る。
お姿 旧吉田橋を西に渡り数百メートル程すすみ、北の山の方へ行くと赤い鳥居が見え、その奥に木々に埋まった社殿が見える。
社殿の背後は山裾であり、檜などの多くの木々が密集している。 社地は広くないが、掃除が行き届き、誠に美しく保たれている神社である。 お祭り
*1 大いなる邪馬台国(鳥越憲三郎)講談社
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池田市鉢塚2丁目4番28号 ゼンリン
この神社から北へ2kmにある久安寺は神亀二年(西暦725年)、聖武帝勅願で行基の開創。後に久安元年(西暦1145年)近衛帝勅願賢実により中興という古刹。 行基は堺市家原寺が本貫地で天智7〜天平勝宝元年(668〜749)の生涯で四十九もの寺社を建てた僧で、父は高志氏。高志氏は王仁(わに)の後裔とされる西文(かわちのあや)氏の一族で、即ち百済系渡来氏族。母は河内国大鳥郡の蜂田首の出自。 灌漑利水の施設を多く作り、農業生産の向上を指導したことなどで行基菩薩と呼ばれるほど、民衆の絶大な信頼を集めたので、国も東大寺大仏建立事業には、行基の力を抜きには出来なかったと言う。 その出身と事業を描いた、家原寺所蔵の「行基菩薩行状絵伝」三幅は、国の重要文化財に指定されている。
古墳は上円下方墳という特異な墳形と巨大な横穴式石室を有する大阪府下有数の古墳である。その兆域は五社神社境内に含まれ、南西の周濠や墳丘の一部が削られている以外は累々完好な状況を保ち、周濠の形跡も明瞭である。
池田警察署HP |
豊能郡豊能町木代 ゼンリン
社殿 鳥居
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大阪市浪速区元町2-9-19 its-mo
祭神
由緒
さて、五十猛命をお祀りしている神社を紹介する試みのこのページに、五十猛命もその一神である八柱御子をまとめて祭神としている神社を入れると、その数は相当に増加する。 選定基準を明確にしておく必要があるのだが、大阪、京都あたりは近場でもあり、五十猛命を祀る神社が少ない事もあるので、取り上げることとした。五十猛命の神徳より素盞嗚尊の神徳で祀られている場合の方が多いので、五十猛命を奉ずる人々の歴史を知っていくには、寄り道となる。 お姿
拝殿の両側には大きい石碑があり、素盞嗚尊が神剣を獲られた事、和歌を初めて詠まれた事を称えている。 所で、とてつもない話がある。出所は言えませんが、この神社には実際に神々が出現するそうだ。 もうひとつは目撃談です。そのよのと神職さんが本殿前の廊下を歩いていたら、白装束の一見宮司さんかと思われる方とすれ違い、脇によけて一礼をしました。 宮司さんは、本殿の奥の方へ進んでいきました。「あれ?今日は宮司様は不在と聞いていたのに」と思って、この神社の留守番の神職さんに「宮司様はお戻りになっていますよ」と申し上げたら、 「いや、今日は戻りません。」「しかし、今お目にかかりましたよ」「あ、また出られましたか。かの方はこの神社の神様です。外出からお戻りになったのでしょう」「えーえ!!」 「私などは良くお見かけします。神様の位ではさほど高い位の方ではないようです」 と、門外漢には不可解なことがあるそうです。 お祭
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大阪市東淀川区東中島4丁目9-41 ゼンリン 一の鳥居から三の鳥居まで、500yd程度の距離。長い参道が残っている。
神社のおかみさんから頂いた、『中島総社境内』と云う図面には、現在の若宮社の付近は、小さい祠が並んでいた。おそらくはこの中に五十猛神と大屋津比売神が祭られていたのだろう。そのいきさつはよくわからない。この図面の神社の住所が大字山口であるのが、山の入り口を示すので、植樹の神が祀られる機会があったのかも知れない。
郷社中島総社境内図
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大阪市住吉区庭井町 its-mo 交通案内
祭神
由緒
八十島祭りにも奉仕料を受け、住吉大社に次ぐ扱いを受けていた。 神功皇后の出兵、住吉、池、船とこの神社の周辺木材の匂いが濃厚であり、五十猛命を奉祀する人々がこの地に住んで造船などに従事していたのであろう。
お姿
摂社には御祭神名が丁寧に書かれていた。 大依羅神社と依網池の字が一字異なるのは、地名を社名とする場合には文字を一字変えておくのが神に対する礼儀であったという。 社殿は、昭和44年に元の社殿が火災で焼失、南向き社殿を東向きにして昭和46年に再建されたもので、この時に正門も北側に変更されている。 お祭
日本の神々3(東瀬博司)白水社
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大阪府和泉市仏並町1740 ゼンリン
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