邪馬台国の朱



中央構造線 金属、とりわけ「朱」の産地が分布する。



『魏志倭人伝』に見る「丹生」に関する記述

 1.以朱丹塗其身如中国用粉也

 2.出真珠青玉其山有丹

 3.特賜・・(略)・・銅鏡百枚真珠鉛丹各五十斤

 4.上献・・(略)・・布帛丹木柎短弓矢

1.顔に赤色を施す風習が倭人にあったと伝えている。

 人骨や埴輪の顔面から検出されている。後世になろうが埴輪の顔かにもある。防腐よりは呪術的な意味を感じる。

2.倭国での出土品に関する記述

 青玉は硬玉や翡翠。丹は辰沙であり、山岳地帯でこれを産するとする。

3.真珠とは何か

 日本の特産品である真珠を中国から賜らなければならない理由はない。そのようなへたな外交をするお国ではなかろう。 まさかキックバクがこの時代からあったのか。しかし一粒一粒の真珠は大きさを重さで表現するが、まとまった真珠は重さでは表現しないだろう。 これを真朱の意味で書いたともとれる。原文改訂であるが、現実には福岡県三雲遺跡で中国産の辰砂の原石が出土している。なお五十斤とは12.5kg。

4.卑弥呼からの献上品

 卑弥呼の国と交流のあった地域の山地で辰沙がとれていたと云うことである。


水銀鉱山から見る卑弥呼の統治範囲

 発掘技術は進歩してきている。公共事業のバラマキで遺跡も発掘と破壊が進んできた。 島根県が銅剣銅鐸を多く出土して脚光を浴びているのだが、確かに出雲風土記が残存し、その通りの遺跡と神社が存続してきている事も大きいが、公共事業の大ボスであった故竹下元首相の貢献も大きかった。

 遺跡がないと云う事では物を言う事が出来ない。何時発見されるか分からないし、再発掘で何が発見できるか分からないからである。 遺跡から言える事は遺跡があり、遺物があると云う事実からだけである。

 さて、辰砂の採掘遺跡で、弥生後期から古墳前期に存在していた物は以下の二ヶ所と思われる。(市毛勲氏:朱の考古学)
 阿波水銀鉱床群 徳島県若杉辰砂鉱山遺跡
 大和水銀鉱床群 三重県森添遺跡

 卑弥呼の交流範囲に阿波、大和が含まれる可能性は高いと言えよう。九州北部を含め、大和までを含む大きい交流範囲が浮かび上がる。 別にすべてを統治している必要はない。交易は人類の太古からの知恵であるから。
 ただ、卑弥呼の墓の石室の内部は多くの朱が入っている事であろう。


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