邪馬台国の系図





伊福部臣系図から (因幡国伊福部臣古志) *1

第一代は大穴持命、大穴牟遅命、大国主命とも呼ばれる。
第二代は「いにしきにぎほのみこと」であり、後に、饒速日命や火明命とみなされ、天照国照彦天火明饒速日命と合成されていったのである。物部氏の河内、大和への移動の主催者であったと思われる。

第四代は天日桙日命ともされる。
第八代は物部氏の遠祖神饒速日命である。この時代、邪馬台国は北九州を制圧し西日本を統一した。
第九代は物部氏の祖神である。
第十三代に伊香色雄命がおり、後の物部氏の殆どが伊香色雄命を祖としている。 伊福部氏の系図は物部氏の系図をつたえており、これを基準線として、各氏族の系図を配置した。

海部氏系図(籠神社)、尾張氏系図(旧事本紀) *2

河内の物部武諸隅命と海部尾張の建諸隅命は同一人物と思われ、横にあわせた。饒速日命と火明命も同時代の神となり、同一神と見られ易いのも無理はない。尾張氏海部氏は物部氏に出目を求めて氏族の古さをアピールしたのである。
 第四代の天登目命の「いとこ」が世襲足命で第五代孝昭天皇の妃となっている。
第八代から第十一代までは大和物部氏の系図の借り物である。ここに卑弥呼、台与に相当する姫が記されている。*3  これは、大海姫命が崇神天皇の妃とすれば、宮簀姫が日本武尊の時代にはならない事でもはめ込んだことがわかる。 また、景行天皇の子五百木の入日子の妃に尾張氏13代に当たる志理津比売命がなっていることからも作為が認められる。
 始祖火明命は記紀によれば邇邇芸の兄弟とされている。この系図で5代上にシフトさせれば、はめこまれた部分がほぼ邪馬台国の系図と同世代になる。

河内物部氏系図(旧事本紀)*3

第一代の宇麻志麻治命は、伊福部志系図の可美真手命である。
第五代の鬱色雄命の代に邪馬台国(大和の物部氏)は滅びたと思われる。鬱色謎命を孝元天皇の妃としている。鬱色謎命が生んだ御子が次の開化天皇である。外戚となった。
第六代の武建大尼命の同時代に中興の祖とされる伊香色雄命がいる。姉妹の伊香色謎命を孝元天皇、開化天皇の妃としている。伊香色謎命と開化天皇との間の御子が崇神天皇であると古事記には記されている。 外戚化が進んでいる。

邪馬台国の系図

 尾張氏の系図の日本得魂命以降がやまと物部氏の系図の借用部分である。 倭得玉彦命をウマシマジの次の年代にしたのは、ウマシマジは物部氏の祖神として石見の物部神社等に祀られている「神」であるから同列には置けないからである。
 旧事本紀にそって邪馬台国の系図を掲げる。日女命と弟彦命が見られ、また乎止与もあり、魏志倭人伝の卑弥呼、男弟、台与の表現に一致している。 伊福部氏系図第一代か第二代に河内大和に東遷し、饒速日の頃、北九州を配下に入れ、西日本を統一したものと思われる。
倭得玉彦命は伊賀上野の高倉神社、丹後舞鶴の田口神社に祀られている。

天皇家の系図

神武天皇の5代前に天照大神がいるが、崇神天皇の5代前の世代に卑弥呼がいることになる。
第7〜8代の天皇の事跡を神武天皇に集約し、系図を伸ばしたものと思われる。饒速日命の天下りより先に神武天皇の東遷成就がなったとし、大和の正当な支配者と位置づけたかったのであろう。


*1 古代の製鉄と神々(真弓常忠)学生社
*2 天皇家と卑弥呼の系図(澤田洋太郎)六興出版図
*3 大なる邪馬台国(鳥越憲三郎)講談社

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