uga紀伊の神々  須佐之男神


1.古事記の須佐之男


 【三貴子神話】  【アラブル神の神話】
イザナギの水中での身祓いで三貴子の一人として誕生。須佐之男命に「海を治めよ。」と命じた。その命令に従わず、大人になるまで泣き喚き、山の木々を枯らし、海川の水を干上がらせてしまう。イザナギは理由をたずねると「妣国根之堅州国に行きたい。」と答えた。須佐之男は追放される。


 【ウケヒ神話】
須佐之男は「天照大神に申しあげてから黄泉の国に行きます。」と言い、すざましい勢い天上に昇っていった。天照大神は国を奪われると思った。そこで、天照大神と須佐之男命は誓約(うけひ)を行い、五男三女神が生まれた。


 【天の岩屋神話】
勝誇った須佐之男命は高天原で神聖な神殿を穢すなど秩序を破壊した。おそれた天照大神は天の岩屋に隠れてしまった。
神々が相談して、天照大神を騙して天岩屋から出した。須佐之男命に罪を償わせて、天の世界を追われた。


 【五穀起源神話】
大気都比売を殺す。蚕と穀物の起源の神話が語られる。


 【大蛇退治神話】
須佐之男命は出雲の鳥髪の所に降った。櫛稲田比売が八俣の大蛇の犠牲になる話を聞き、嫁にくれるなら退治しようと約束した。大蛇を退治して、尾から草薙剣を取り出し、天照大神に献上した。


 【木国大屋毘古神話】
須佐之男命の末裔に大国主神(大穴牟遅の神)がいる。大国主は多くの兄弟神に殺されそうなので母神は紀伊の国の大屋毘古の神の元に逃がした。大屋毘古の神は大国主を須佐之男命のいる根の堅州国に行かせた。


 【根国神話】
須佐之男命は大国主神を試した。須佐之男命は大国主神に、「娘の須勢理毘売を正妻とし、八十神を追い払い、大国主となって立派な宮殿に住めよ。」と言った。


2.日本書記の素盞嗚尊(須佐之男命)


 【三貴子神話】  【アラブル神の神話】
本文   伊弉諾尊・伊弉冉尊は日の神、月の神、蛭児、素戔嗚尊を生んだ。素戔嗚尊は勇ましく荒々しく、残忍で、常に泣き喚めいたので、国内のひとびとは多く若死にし、青山を枯れ山にしたので、父母は遠い根の国に追いやった。


一書第六   伊弉冉尊を追って黄泉の国へ行った伊弉諾尊は禊ぎ祓いを行った。鼻を洗った時に素盞嗚尊が生まれた。天下を治めよと命令を受けたが、成人しても治められず泣き恨んででいたので、伊弉諾尊は根の国に追いやった。


 【海原統治】
一書第十一   伊弉諾尊は素盞嗚尊に青海原を治めよと命じた。


 【ウケヒ神話】
本文 素盞嗚尊は根の国に行く前に高天原へ行って姉にお別れをしますといって、天に昇った。その際、大海はとどろく、山岳も鳴り響いた。天照大神は素盞嗚尊が国を奪いに来ると疑い武装して待ちかまえ、激しく詰問した。そこで、素盞嗚尊の心を見るべべく、誓約をすると、五男三女神が生まれた。


五男神 天忍穂耳尊(皇祖)、天穂日命(是出雲臣・土師連等祖)、天津彦根命(凡川内直、山代直等祖〉、次活津彦根命、熊野橡樟日命 三女神 筑紫胸肩君等所祭神

  
【天岩屋神話】 その後の素盞嗚尊の仕業はひどくなり、馬の皮を剥いで御殿の屋根に穴をあけて投げ込んだ。天照大神は驚き、機織りの梭で怪我をして、天の岩屋に入られた。
もろもろの神々は天の岩屋の前で神事を行い、天照大神を外へ引き出した。神たちは、素盞嗚尊に罪をきせ、罰をおわせて、高天原から追放した。
時に霰ふり、素戔嗚尊は青草を笠簑として、風雨甚だしき中を天降りした。


 【紀伊国日前神】
第一  鹿の皮を剥いてフイゴをつくり、これを用いて神を造った。紀伊国の日前神である。


 【出雲国大蛇退治神話】
本文 素盞嗚尊は天から出雲の簸の川の辺に降り、八岐大蛇を退治し奇稲田比売を娶った、
須賀の地で心がすがすがしいと言って、宮を建てて、歌を歌った。
   
や雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を


第二  安芸の江の川の辺に降りた。大蛇退治をした。真髪蝕奇稲田媛を出雲の簸の川の辺 に移して育て、後に妃とした。六代の孫が大己貴命である。


 【紀伊国五十猛神神話】
第四  素盞嗚尊はその子の五十猛神を率いて新羅の国の曽尸茂梨のところにおいでになっ た。「この国にはいたくない。」と言って土で舟を造り、出雲の国の鳥上の峰に着いた。
五十猛神が天降られるときにたくさんの樹の種をもって下られた。けれどの韓地に植えず、筑紫からはじめて大八洲の国の中に播きふやして全部青山にしてしまわれた。
このため五十猛神を有功の神とする。紀伊国においでになる大神はこの神である。


 【紀伊国五十猛神神話】
第五  素盞嗚尊は「韓郷の島には金銀がある。わが子が治める國に舟がなければよくない。」そこで体毛を各種の木材用木々に変えた。沢山の木の種を播こうと言った。素盞嗚尊の子を名づけて五十猛神と言い、妹の大屋津姫命抓津姫命の三柱の神がよく種子を播いた。紀伊国にお祀りしてある。

素盞嗚尊は熊成峯に行き、ついに根の国においでになった。


3.出雲国風土記
意宇郡安来郷  神須佐乃烏命は天の壁を立て廻しなされた。その時、このところに来てみことのりして「私の御心は安平く成った。とおおせられた。だから安来というのである。


大原郡佐世郷  古老のいい伝えるところでは、須佐能袁命が佐世の木の葉を髪に刺して踊りを躍られた時、刺していた佐世の木の葉が地面に落ちた。だから佐世という。


大原郡御室山 神須佐乃乎命が御室を造らせ給うてお宿りになった所である。だから御室という。


島根郡山口郷  須佐能袁命の御子、都留支日子命が詔して、「私が治めている山の入り口の処であるぞ」。とおおせられて、そこで山口という名を負わせ給うた。


島根郡方結郷  須佐能命の御子の国忍別命が詔して、「私が領有している地は、国形且し」と仰せられた。だから方結という。


神門郡八野郷  御子の八野若日女命が、鎮座しておられた。その時、天の下をお造りになされた大神大穴持命が結婚しようとし給うて屋をお造らせになった。だから八野という。


神門郡滑狭郷  須佐能袁命の御子の和加須世理比売命が鎮座しておられた。所造天下大神命が求婚してお通いなされた。社の前に表面がたいそう滑りやすい磐があった。そこで「滑磐であることよ」と仰せられた。だから南佐(なめさ)という。


飯石郡須佐郷  神須佐能袁命は詔して、「この国は小さい国だが住むのにいい処だ。だから私の名前を木や石につけるべきではない」と仰せられて、ご自分の御魂をここに鎮め置きになった。そうしてただちに大須佐田・小須佐田を定め給うた。だから須佐と言う。
→ この説話は須佐之命は出雲へやって来た神のように思われる。


4.備後国風土記   疫隈(えのくま)の国つ社。
昔、北の海にいましし武塔(むたふ)の神、南の海の神の女子をよばひに出でまししに、日暮れぬ。
その所に蘇民将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚貧窮(いとまづ)しく、弟の将来は富饒み、屋倉一百ありき。ここに、武塔の神、宿処を借りたまふに、惜しみて貸さず、兄の蘇民将来惜し奉りき。すなはち、粟柄をもちて座(みまし)となし、粟飯等をもちて饗(あ)へ奉りき。ここに畢(を)へて出でまる後に、年を経て八柱の子を率て還り来て詔りたまひしく、「我、奉りし報答(むくい)せむ。汝(いまし)が子孫(うみのこ)その家にありや」と問ひ給ひき。蘇民将来答へて申ししく、「己が女子と斯の婦と侍り」と申しき。即ち詔たまひしく、「茅の輪をもちて、腰の上に着けしめよ」とのりたまひき。詔の隨(まにま)に着けしむるに、即夜(そのよ)に蘇民と女子一人を置きて、皆悉にころしほろぼしてき。即ち詔りたまひしく、「吾は速須佐雄(はやすさのを)の神なり。後の世に疾気(えやみ)あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔りたまひき。


5.先代旧事本紀
五十猛神、亦云 大屋彦神。


6.個々の神話の検討
 【ウケヒ神話】  【三貴子神話】 
庶民に絶大な人気のあった素戔嗚尊を新たに皇祖神としたアマテラスの弟に位置づけ、処女神からして、皇祖となる天忍穂耳命を誕生させる必要があった。さらに、出雲臣の祖である天菩卑と同族とし、加えて多くの氏続の祖とも同族として、統治の役にたてたのでしょう。
不思議なことに、伊勢神宮の摂社に天照大神の親神や兄弟神の月読神が祀られており、式内社と成っているが、もう一人の兄弟の素戔嗚尊はどこにも見えない。悪神とされた月読神が祭られているのにもかかわらず。

 【五穀起源神話】
この神話は二つのことを伝えているような気がする。
ひとつは、神を祀るのには、清浄な物を奉納しなくてはならない。
もう一つは、素戔嗚尊は五穀の普及を勧める人々が祀った神ではないか。
【紀伊国五十猛神神話】では樹木を生み出し、種を播くように命じた神でもある。

 【アラブル神の神話】
素戔嗚尊が【五十猛神話】 での木種播布や和歌を詠み、『出雲国風土記』ように、地域で踊る牧歌的な神で、文化神でもある。これでは、素戔嗚尊の子孫である大国主に国譲りを強制する根拠が乏しくなる。彼は暴虐な悪神でなければならなかった。天津罪を犯した神としたのである。宮廷で構想されたものと思われる。大祓詞にも記載されている。
宮廷では、稲作の開始は皇祖神である瓊ゝ杵尊が高天原から種子を葦原中津国へもたらしたことにしたかった。
これが功を奏して今だに稲作は天皇から託された神聖な業務として受けとめている。多くの神社で行われている御田植祭では、神を妨害する鬼や邪霊として素戔嗚尊は格好の神であった。

 【出雲国大蛇退治神話】
世間に多い人身悟供譚の主人公として、素戔嗚尊が持ち込まれ、さらに稲作の普及の神にちなんで、犠牲に供される娘の名として、稲田姫とされたのでしょう。

 【海原統治】 【天岩屋神話】
 素戔嗚尊は青草を笠簑として、風雨甚だしき中を天降りした。この姿はマレビト神の姿である。
また、海との関係が深語られている。。端的に言えば、海からやってくるマレビト神であろう。


7,素戔嗚尊を祭る古社と神の本貫地
式内社
備後国深津郡 須佐能袁能神社 『備後国風土記』の疫隈(えのくま)の国つ社。
出雲国飯石郡 須佐神社
出雲国出雲郡 阿須伎神社同社須佐袁神社
紀伊国在田郡 須佐神社  名神大社である。霊験あらたかな神ということ。
摂津国住吉郡 神須牟地神社
三代実録記載社
播磨国 速素戔嗚神  広峰神社のこと、 疫隈社からの勧請 山城の祇園社(八阪神社)の元社。
隠岐国海部郡 健須佐雄神
尾張国海部郡 津島神社  対馬の国魂は素戔嗚尊といえる。
古社は紀伊、摂津、播磨、吉備、出雲、隠岐と連なっている。ほかに壱岐対馬にも伝承の神社がある。

【木国大屋毘古神話】から見ると、大屋毘古神のいる社の木の又をくぐると、素戔嗚尊のいる根の国にいける。即ち、紀伊国が素戔嗚尊の本貫の地と思える。根の国とは熊野を思わせる。


【紀伊国五十猛神神話】に見るように、出雲よりは紀伊国が温暖で木々が育ちやすく、毛から木を生み出した素戔嗚尊がおられる雰囲気がありそう。


【出雲国大蛇退治神話】また出雲国では大蛇退治や多くの御子神の社があり、こちらも有力な本貫の地に見える。
つまる所、出雲か紀伊が須佐神社が素戔嗚尊の本貫の地であろう。
そこで、 【海原統治】 【天岩屋神話】 のマレビト神が海の彼方からやってくるのは、神社は海に 近い場所に鎮座してほしい。紀伊海人が祀ったとすると、分布範囲が瀬戸内から隠岐、出雲に及び壱岐対馬に及び、朝鮮半島との関わりもあり、かつ名神大社である紀伊国の須佐神社が本貫地だろう。出雲での須佐神社はあまりにも山中すぎるようだ。


8.関連する神社と神戸
『和名抄』の素戔嗚尊、五十猛三神に関連する地名について
名草郡 大屋 大屋神(大屋都比賣神社)は紀ノ川の北側に鎮座
大屋神戸 大屋神戸以下は紀ノ川の南側の熊野古道沿いにあった。
津麻神戸 その南。当該神社の近く。
伊太祁曽神戸 その南。当該神社の近く。
須佐神戸 その南。当該神社の近く。
在田郡 須佐 名草郡の約30km南。

「大屋」のように、神社と神戸が離れていると、神戸の場所が記載されている。
「須佐」の場合、神社は在田郡に鎮座しているにも関わらず、神戸が名草郡にある。

おそらく、名草郡に鎮座していた須佐神社が在田郡に遷座したものと思われる。



9.紀伊の神社についての伝承

須佐神社

『紀伊続風土記』社家の傳に和銅六年(713年)十月初亥日此地に勧請すといふ 社記曰く。此神は大和國芳野郡西川峯から遷座、社殿は海に面しており、往来の船が恭順の意を示さない場合に、転覆させたりする事が多かったので、元明天皇勅令により社殿を南向きに変えた所、船は無事に航行できる様になったと言う。

伊太祁曽神社
『永享文書』 垂仁天皇十六年、名草万代宮の地から伊太祁曽三神を追いやり(亥の杜、三生神社)、万代宮で日前国縣神を祀るようになった。
『寛永記』 伊太祈曾明神は大峰釈迦嶽から和銅六年十月初亥の日当所へ遷り給ふ 。当所とは現在地のことと思われる。
『續日本紀』 文武天皇大寶ニ年(702年)二月己未是日分遷伊太杵曾大屋津姫命都麻津姫三神社に分遷命令。
この年に文武天皇・持統上皇が紀伊に行幸している。

和銅六年(713年)十月初亥日
この日に、伊太祁曽神社と須佐神社が現在地に遷座している。同じ日であるのは偶然ではない。 須佐神社が在田郡に遷座し、その跡地に伊太祁曽神社が遷座したと考える。何故、このようなことが行われたのか。伊太祁曽神社は熊野古道に面しているが、遷座前には須佐神社が鎮座していた。 己自身を天照大神に準えた持統上皇が通るであろう街道(後の熊野古道)に、悪神とした素戔嗚尊を祭る神社が鎮座している。紀伊の国造であった紀氏(紀直)は顔色なしとなり、同族であた。文武天皇の妃を出している紀朝臣家にも顔向けができない。いや、朝臣家から圧力があったのかも知れない。


紀伊国名草郡の神戸



10.まとめ


皇祖として天照大神を登場させるに当たって、絶大な人気の素戔嗚尊を弟として位置づけ、かつ天照大神を処女神として素戔嗚尊の手助けで二代目の皇祖の天押穂耳命を誕生させる。
素戔嗚尊の人気は五穀をもたらした神としての功績が大きいが、その功を取り上げ三代目の瓊ゝ杵命のものとした。
素戔嗚尊には悪神になってもらうべく、天津罪を犯させる物語を押しつけた。これは子孫の大国主命には国を治める資格なしとして、国譲りを強制する根拠とした。
素戔嗚尊の本貫の紀伊国である。紀伊国在田郡の名神大社須佐神社は名草郡から遷座した。跡地は伊太祁曽神社が鎮座している。




参考文献
松前健 『日本の神々』中公新書
谷川健一『日本の神々』 神社と聖地 白水社
『荒ぶるスサノヲ、七変化』斉藤英喜



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H27.2.22