豊前国の延喜式内社 宇佐八幡について


豊前国宇佐郡

宇佐宮三座 創建は宇佐氏、辛嶋氏、大神氏がからんでいた。

590 八幡大菩薩宇佐宮 鍛冶神、皇祖、聖武天皇霊、応神天皇と変遷。人神、仏教の最初の神。
応神天皇を持ち込んだのは大神氏だが、応神は宇佐とは何ら由縁がない。

733 比売神社 地元の宇佐氏が馬城嶺に祀る神奈備信仰の神。水神・農業神。または
香春神社の辛国息長大神大目命とする見方がある。息長帯姫につながる。息長 金属精錬  大目 大目付(支配者)

820 大帯姫廟神社 香椎廟宮から大帯姫が勧請された。現在は神功皇后とみなされている。



豊前国田川郡

香春神社三座 神主は赤染氏と敦賀氏、赤染氏は後の常世氏。

辛国息長大姫大目神社 新羅国神。香春岳の銅を採掘精錬した新羅系渡来氏族の赤染氏守護神。秦氏の系統。
香春岳一の岳の神。ここの白石が神となったとされる。赤留比売神か。

忍骨命神社 香春岳二の岳の神。誓約で誕生した皇祖の天忍穂耳尊とする説もある。

豊比盗_社 古宮八幡宮の祭神で三神では最古の神。香春岳三の岳に勧請された。香春の元神。八幡の元神とも。
古宮は採銅所駅の側、清祀殿がある。宇佐に奉納した銅鏡を作った場所。
北側に現人神社「都怒我阿羅斯等」が鎮座。

宇佐地図

年表

     神代紀   日神と素盞嗚尊との誓約で生まれた市杵嶋姫・湍津姫・田霧嬌命の三女神が宇佐嶋に降臨。馬城嶺・御許山。宇佐嶋を現在の宗像大社の鎮座する沖の島ともする。
     
     
天神本紀  天三降命 天孫天降日向国之時供奉、後依勅住菟狭川上、奉斎宇佐明神


昔昔  原始神    宇佐氏となる民が宇佐に住み着き、開拓を行った。馬城嶺の磐座と泉に神を祀った。
宇佐に3世紀末の赤塚古墳があり、宇佐氏の墳墓と見なされている。6世紀まで続くが、磐井の乱で滅びる。

    神武紀    神武、築紫国菟狭に至り、菟狭国造の菟狭津彦・菟狭津姫が一柱騰宮に迎えた。
一柱騰宮:あしひとつあがりのみや  和間神社の社殿が江海に突きだしている。

肥前風土記 景行天皇が球磨噌唹を誅殺して凱旋の時、豊前国宇佐海行宮(あんぐう:仮の宮)にとどまった。

    豊前風土記 昔、新羅の国の神が自分で海を渡って来着いて、この河原に住んだ。名づけて香春の神という。郷の北に山がある。第一の嶺には黄楊樹(つげ)がある。第二の峰には銅と黄楊、第三の峰には龍骨がある。(実際は第三の峰に銅が多かった。)
 (自分で海を渡って来着いて)=まさにアカルヒメを想起させる。

戦前の香春岳

2008年の香春岳

昔           辛嶋氏 (素盞嗚尊−)五十猛神を祖とする渡来系鍛冶氏族。秦氏配下。筑前に上陸、白木・妙見神社・築紫神社に五十猛神を奉じ、宇佐の辛嶋に至った。辛国宇豆高島(稲積山)に降臨した五十猛神を八流の幡を立てて祭祀をおこなった。宇佐氏の神と合わせて小椋山に(原始八幡)神を祀った。北辰社である。


          赤染氏も秦氏。同様な道筋で香春に来て銅を採取、ここに新羅国神を祀った。


   雄略期     姓氏録、天皇不予により、豊国奇巫(きふ)を召し上げた。


527 継体21     築紫君磐井の乱。磐井敗死。『筑後国風土記逸文』に、「豊前の国の上膳の県に逃げてとある。」加担した宇佐氏衰微。そこに大神氏が入ってきた。


562 欽明23     大加羅(高霊)の滅亡、新羅に併合。亡命者多数渡来。


571 欽明32    『承和縁起』 神が宇佐郡辛国宇豆高島に天降り、大和国胆吹嶺(宇陀郡伊福 大神地名)、紀伊国名草海島(名草郡)、吉備宮神島に遷り、宇佐郡馬城嶺に顕現。その後比志方荒城磯辺に遷り、さらに泉社、郡瀬社、鷹居社と遷った。ここで大神は半殺し、鷹と化し、神が荒び、5人行けば3人殺す。治まってから小山田社に遷った。
築紫に麁猛神がいて、通行人の半数を殺したとの伝承がある。韓鍛冶神。五十猛。

           『託宣集』辛国の城に始めて八流之幡が天降って、吾は日本神と成れり。吾は誉田天皇広幡八幡麻呂、我が名は護国霊験威力神通大自在王菩薩、として垂迹した。

稲積山 辛国宇豆高島

           『宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起』「大御神は品太天皇の御霊なり。」とある。大神比義は大和三輪山から応神天皇霊を宇佐に勧請したと逵日出典氏は述べている。敏達十年蝦夷の綾糟らが三輪山を伏拝み、天皇霊に忠誠を誓っている。応神霊とはしていない。
           『紀』には、応神天皇の古墳や廟について述べていない。『記』では、川内の恵賀の裳伏の岡とある。

587 用明二     用明天皇の病により、豊国法師が内裏に招かれた。


590 崇峻三     鷹居社を建て、八幡大神を祀った。

667 天智七     『託宣集』(1313年)新羅僧道行が熱田神宮の草薙剣を盗み出すも八幡神の力で僧は入海した。
703 大宝三
    『続日本紀』宇佐国造家の出身の僧法蓮が医術によって賞された。一族を宇佐君に。宇佐の復活。

712 和銅五     『託宣集』 鷹居社の造立。大神比義と辛島乙目による。

714 和銅七     豊前の民二百戸(五千人)、大隅に移住。東に正八幡神、西に韓国宇豆峯神を置く。

720 養老四     日本書紀完成、宇佐八幡に関する記述はない。この頃は応神天皇は祭神ではない。
隼人反乱、豊前軍が八幡神の神輿を奉じて参戦。八幡神は殺生に苦み、放生会へ。

725 神亀二     現在地の小椋山に社殿が建つ。弥勒禅院も創建。神仏習合の最初の神となる。
仏教は地域・氏族から離れた存在。天皇統治に都合がいい。 729 光明皇后立后。皇后とは天皇になる可能性がある地位。称徳天皇が道鏡を皇位につかそうとしてことのつながった。

733 天平五     比売大神を祀る。宇佐氏の祖神とされる。宇佐津比売?宗像三女神?神功皇后?
天平五 新羅の無礼を伊勢、大神、築紫住吉、八幡二社、香椎宮に報告奉幣。

741 天平13     日本最初の神宮寺としての弥勒寺が宇佐八幡の境内に建立される。

743 天平15     聖武天皇 廬舎那仏(大日如来:大仏)発願の詔を発す。知識で心を込めてやる。
           八幡神 天神地祇を率いて大仏の造立を成就させるであろう。
           天神 伊勢、山代鴨、住吉、出雲国造斎神(熊野大社)。
           地祇 大神、大倭、葛木鴨、出雲大汝神 など

746 天平18     聖武天皇の不予祈願に験あり、三位に叙される。我が国最初の神階を得る。

749 天平勝宝元  八幡大神入京。八幡大神一品 比売神二品 神階を受けた最初の神。皇祖扱。八幡神予言してすぐ陸奥で金発見。

750 天平勝宝二  八幡大神・比売神に神封1400戸 位田140町を受ける。位田(いでん)は位に応じて与えられる田。

754 天平勝宝六  大神杜女・同多麻呂は失脚・配流。禰宣に辛嶋久須売、祝に宇佐公手人。

755 天平勝宝七  八幡神、封戸や位田を朝廷に返上。八幡神は四国宇和嶺へ配流。皇祖が配流されるはずがなかろう。
愛媛県八幡浜市または瀬戸町の三机の八幡神社 ここから宇佐へ遷座9年で復帰。

756 天平勝宝八  聖武天皇の病気回復の祈願を宇佐八幡宮に行う。

765 天平神護元  孝謙上皇が重祚して称徳天皇となる。48歳の女帝。

769 神護景雲三  宇佐八幡の託宣として、「道鏡を天位につかしめたならば天下は大平となる。」と。
和気清麻呂が宇佐に赴く。「皇位には皇緒を立てよ。無道の人は掃い除け。」と嘘。

777 宝亀八     八幡大神、出家する。井上内親王など聖武天皇の子孫抹殺され、祟りを封じるため。光仁天皇の皇后であったが、謀略で大和国宇知郡(五條市)に幽閉され、暗殺される。

780 宝亀11     小椋山(現在地)に八幡宮を造営する。翌年「大自在王大菩薩」を称す。
八幡神を9世紀初頭には太上天皇御霊と見なされていたと言う。聖武天皇霊が有力。

781 天応元     桓武天皇は八幡神に、「護国霊験威力神通大菩薩自在王」の尊号を奉った。

820 弘仁二     724年創建の香椎廟宮「大帯姫」から大帯姫廟を勧請。後に神功皇后と見なされた。

844 承和11     『承和縁起』大御神者、是品太天皇御霊也  応神天皇と見なされていた。

859 貞観元     宇佐より石清水八幡宮に勧請。

870 貞観12     清和天皇の宣命 我朝乃顕祖  応神天皇であることが明確になったとされる。

879 元慶三     『住吉大社神代記』 「八幡(耶波多)御子と曰す。誉田天皇と号す。」

1180 治承四     石清水から鶴岡八幡宮に勧請。


宇佐氏関連
比売大神の臨地

豊後国国東郡八幡奈多宮 奈多の地は海岸の要津、比売大神発祥の霊地とされる。

宇佐郡 妻垣神社 比淘蜷_の降臨は妻垣山とも、馬城嶺=御許山ともされる。


比売大神とは 宇佐津比売神、宗像三女神(多紀理毘賣神)、仲姫(応神皇后)、卑弥呼。


多紀理毘賣神 大国主と多紀理姫との間に下照姫が誕生している。日吉大社摂社に宇佐若宮が鎮座、祭神は下照姫。また三井寺の長等神社の祭神は宇佐若宮下照姫大神と言う。


国家主体の神社
大帯姫廟神  香椎廟宮は仲哀天皇の死んだ場所。廟。ここに大帯姫が祀られた。子育ての女神。
息長帯姫神  母子信仰から誉田別命(応神天皇)を祭神とした。



辛嶋氏関連
八幡大神        鍛冶神 武神 蚩尤 兵主神 天日槍命 素盞嗚尊 五十猛神
辛国息長大姫大目命   香春に祀られた新羅の女神。鍛冶神。→息長帯姫神の生成。
舒明(息長足日広額)天皇期か。


大神氏関連
八幡大神        金色の鷹 鍛冶の翁 聖武霊 応神霊


八幡余談


大帯姫 おお たらし ひめ たらし=子供をお育てになる → 聖母神功皇后。
筑前国 糟屋郡 宇美八幡宮境内聖母宮
筑後国 山門郡 聖母神社
筑後国 山門郡 香椎神社<通称>聖母宮
肥後国 山鹿郡 方保田八幡宮<通称>聖母八幡宮
壱岐国 壱岐郡 聖母宮



聖母神像
筑後国 御井郡 高良大社 女の神が幼児を抱いている木像 20cm
紀伊国 名草郡 伊太祁曽神社 居懐貴孫大明神像 日出貴大明神像
縁起絵巻の絵、女神が幼児を抱く絵、女神が鏡を抱く絵。



辛嶋氏系譜 五十猛神 豊都彦 豊津彦 都万津彦 曽於津彦 身於津彦 照彦 志津喜彦 児湯彦 諸津彦 奈(宇)豆彦  辛嶋勝乙女 ・・・
豊国 豊国 日向 大隅 地方の地名



黒男神の並び 福岡市から南東の日田市へ、そこから北東の宇佐市へのコース。
佐賀県武雄市 黒尾神社(神母影媛) 摂社黒尾神社
福岡市中央区 今川鳥飼八幡宮摂社黒殿社
福岡県大野城市 黒男神社
福岡県田主丸町 黒島神社
大分県日田市 玉垂神社<通称>黒男社
福岡県築城町 八幡神社摂社黒男殿神社
大分県東国東町 黒雄社
大分県宇佐市 宇佐八幡宮摂社黒男社

 住吉大神は武内宿禰に乗り移った。ともに神功皇后との密事が疑われる。

黒男 八幡古表神社の相撲神事では「おんくろう神」と呼ばれる住吉大神が全勝して勝ち残ります。住吉大神の傀儡子は、他の神々よりも小さく、かつ黒いのです。
高良玉垂神社 武内宿禰を祭神とする有力な説がある。高良(こうら)→(くろ)かも。

傀儡子

神母影媛は武内宿禰の母 『記』人皇八代孝元天皇の皇子の布都押之信命が木国造の祖、宇豆
比古の妹、山下影日売を娶して生める子、建内宿禰。
『紀』屋主武心命が紀伊国に九年住み、紀直の先祖菟道彦の女影媛を娶って、武内宿禰を生ませた。


影媛を祀る神社

福岡県宗像郡玄海町 葛原神社 影姫命
福岡県小郡市力武     竃門神社 山下影姫命
佐賀県武雄市       黒尾神社 神母景媛
新潟県西頚城郡名立町   江野神社 影姫命
紀伊国(和歌山県)には影姫を祀る神社は見あたらない。

八幡大菩薩とは
地蔵菩薩の姿。衆生が悉く成仏しないかぎりは、自分は成仏しない。日本の神の姿は蛇とか猿とか、いわばあさましい姿をしており、救われたいと願っているが、八幡大菩薩は、あさましい姿のままで救われていると言える。永久に救済をし続ける、自分は成仏できない。大悲。
八幡神は修行もなにもせずに、大乗仏教の極致に達している。

放生会
養老四年(720)大隅隼人の乱が起こり、八幡宮に祈願、豊前国司宇努首男人が将軍、禰宣
辛嶋勝波豆米が御杖人となって隼人を制圧。多くの隼人の首を宇佐の松隈に埋め、凶士墓と呼んだ。『託宣集』 神亀元年(724)、隼人を殺したので、これに報いるために放生会を奉仕。
1 隼人の乱平定の故事の再現。
2 放生・殺生禁断の側面。
3 細男の舞という霊鎮ね的舞の存在から御霊会の側面。
4 国境(豊前と豊後)で行う祭祀、満潮時に蜷(竹の子状をした淡水性の巻き貝)を放つ。放生と祓い。
5 銅鏡の奉納儀礼(古宮八幡宮から
豊日別神社経由で宇佐神宮へもたらされる。

半分殺す神 風土記から
肥前基肄郡姫社郷条 昔者 此川之西 有荒神 行路之人 多被殺害 半凌半殺
肥前神埼郡 昔者 此郡有荒神 往来之人 多被殺害 景行天皇 巡幸 和平
筑後逸文 昔 此堺上 有麁猛神 往来之人 半生半死 其数極多 因曰 人命盡神
播磨揖保郡意此川 品太天皇之世 出雲御蔭大神 坐於枚方里神尾山 毎遮行人 半死半生
播磨國神前郡 所以號生野者 昔 此處在荒神 半殺往来之人 由此號死野 改爲生野

草薙剣の盗難 鶴見区放出東 阿遅速雄神社
天智天皇(三十八代)七年(668年)十一月、新羅の僧、道行尾張国熱田宮に鎮り座す御神劔、
天叢雲劔即ち草薙御劔を盗み出し、船にて本国へ帰途、難波の津で大嵐に遇ひ流し流 され、
古代の大和川河口であった当地で嵐は更に激しく、 これ御神罰なりと御神威に恐れをなし、御
劔を河中に放り出し逃げ去りたり(之が地名となり、放手 放出 今 「はなてん」と云ふ)。
御神劔は天武天皇(四十代)の皇居、飛鳥 の浄見原宮に御うつし申上げ更に朱鳥元年六月
皇居より尾州熱田の御社に奉還し給ひ。

高知県宿毛市 一宮神社
天武天皇四年三月 土左大神以神刀一口 進于天皇。

鴨の大神が土佐へ流されていた。これを元に戻す工作のために打って付けの事件。

代表的な神仏習合
725 宇佐八幡神宮寺 758 住吉神宮寺 766 伊勢大神宮寺
767 八幡比売神宮寺 785 日吉神宮寺 788 三輪神宮寺
866 石上神宮寺



14世紀初頭  『託宣集』

9世紀初

め  『承和縁起』 

参考文献

中野幡能『宇佐宮』
谷川健一『日本の神々』
飯沼賢司『八幡神とはなにか』
泊勝美『古代九州の新羅王国』
逵日出典『八幡神と神仏習合』


神奈備