浪華・元禄文芸の風景
上田秋成の風景と物語

秋成 養子に迎えられる。



 元文二年(1737)数え四才の時、母にも捨てられ、大阪堂島永来町(えらまち)の紙油商嶋屋(上田茂助)の養子になる。
 『自像筥記』に「四歳母亦捨」の記述があり、父からも母からも捨てられたとの認識は自分は孤児であるとの意識につながり、青年期だけではなく年輩になっても彷徨う生活から抜け出せなかった。
 紙油商とは紙と油を商う商人のこと。
 堂島永来町には米会所が多くあり、賑わっていた。現在の堂島一丁目にあたる。
 秋成は商家の若旦那らしく放蕩な生活ぶりであったが、学問にも無関心ではなかった。

 堂島薬師堂 大阪市北区堂島一丁目 mapion
 弘法大師、薬師如来、地蔵菩薩

 由緒 創建は推古天皇の時代(7世紀末)とされる。四天王寺用の資材が暴風雨で流れ着いたので、ここにお堂を建てたと伝わるもその頃ここは陸地であったか疑問。
 お堂のある島で、堂島の名がついたと云う。
 江戸時代にこの薬師堂は、新地の花街芸伎や米相場師などの信仰を集めて、賑わっていたと云う。

 再建記念として、平成十六年三月十九日に第1回目の堂島薬師堂で「お水汲み祭り」が行われた。

堂島薬師堂




堂島薬師堂

堂島薬師堂の弁財天

摂津名所図会 堂島の米市場


上田秋成 遊郭で誕生す

上田秋成 紙油商に養子に貰われる。

上田秋成 疱瘡を患い、直す。

上田秋成 文人として名をはせる。

上田秋成 雨月物語の風景。

上田秋成 春雨物語の風景。

上田秋成の風景と物語