魏志倭人伝の国々

女王国への経路の国々と神々 帯方郡から投馬国へ



邪馬台国は大和にあったが、狗奴国との戦争状態で、使節来訪時には、南中九州、四国、安芸は狗奴国に抑えられ、瀬戸内海の制海権を失っていた。日本海を水行したのである。 チャイナ人は日本に四国島のあることを長く認識していない。倭人伝にも瀬戸内海や四国の事は出ていない。これは瀬戸内海を水行しなかった証である。
帯方郡

魏の半島支配の拠点、ソウル近辺


句邪韓国 くやかんこく

半島の南側、この時代は玄海灘をはさみ「倭」と一体であった。後の任那、伽耶である。


対馬国 つしま

始めて海を度ること千余里にして対馬国に至る。
大官は卑狗(彦)、副官は卑奴母離(夷守)。 夷守は邪馬台国からの派遣官吏。
戸数は千余戸。対馬である。

対馬上県 和多都美神社「彦火火出見尊、豐玉姫命」長崎県下県郡豊玉町大字仁位字和宮55番地 一の宮

 原初の神体は磯良エビスと呼ばれる霊石、安曇磯武良の磯武良はイソタケルと読め、五十猛となる。また彦渚武茅葺不合尊のナギサタケはイソタケルの同義となり、五十猛命、磯良、彦渚武が繋がってくる。五十猛命は紀伊の名草に鎮座しており、名草のタケルである。彦ナギサタケに通じる。
 五十猛命は「韓国伊太命」と呼ばれる。茅葺不合尊のウガヤは上伽耶とされ、これまた韓半島の地名である。神々の名に半島の地名が付いている希な共通点が注目される。
「ウガ」には紀州方言で海蛇があり、豊饒の神もウカであるので、今後の解明が待たれる。

対馬上県 天神多久頭魂神社[てんじんたくずたま]「多久頭魂命」雄嶽雌嶽を持つ天道山に鎮座、社はない。山麓の海辺に磐境形式の祭場がある。 長崎県上県郡上対馬町佐護字洲崎西里286

対馬下県 高御魂神社[たかみむすび]「高皇産靈尊」神体がうつほ船に乗って漂着した霊石であるとの伝承がある。皇祖の高皇産霊神と同一神である。 長崎県下県郡厳原町豆酸字東神田628

対馬下県 多久頭魂神社[たづくたま]「多久頭魂神」神離磐境のお社であります。古木巨樹鬱蒼としていて、昼もなお暗く、此の辺りの神域は古来天道信仰の聖地として磐境の限りを八丁角と称し、今に至ってもこの神地に立ち入るを忌みています。 長崎県下県郡厳原町大字豆酘字字龍良山1250

対馬下県 阿麻留神社[あまてる]「天日神命」対馬には俗神[オヒデリ]がある。社がないので廃れかけた所が多いが阿連(厳原町)の里には古い祭祀が」よく残っている。 長崎県下県郡美津島町小船越字河岸川352


一大国 いき

また南に海を渡ること千余里、一大(支)国に至る。
官は卑狗、副官は卑奴母離。
戸数は三千ばかりの家。壱岐である。


壱岐壱岐 住吉神社「底筒男神、中筒男神、表筒男神 配 八千戈神」住吉神は和多都美と並ぶ生み神である。外海へ出る人々が往還に祀ったのである。 摂津−長門−下関−筑前−壱岐−対馬と続く住吉社の配列は、畿内から朝鮮へ渡る海路の要衝に当たる。長崎県壱岐郡芦辺町住吉東触470

壱岐壱岐 兵主神社「素盞嗚命、大己貴命、事代主命」壱岐郡芦辺町深江東1616

壱岐石田 左肆布津神社「武甕槌命」壱岐郡芦辺町箱崎大左右触1146番地

壱岐石田 天手長男神社[あめのたながを]「手力男命、正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、天宇豆女命」式内社の手長比賣神社、当社、物部布都神社が同居している。鉢形山は見るからに神奈備山である。古代祭祀の中心地であったろう。一の宮。 長崎県壱岐郡郷ノ浦町物部田中触730

壱岐石田 国律神社(物部布都神社)社記に阿良波加大明神とある。長崎県壱岐郡郷ノ浦町渡良浦1148


末廬国 まつら

また海を渡ること千余里にして末廬国に至る。
官名の記載ないのは邪馬台国の直轄地であったから。
戸数は四千余戸。松浦川の川口の浜。唐津市である。

肥前松浦 田島神社「田心姫尊、市杵嶋姫尊、湍津姫尊 配 大山祇神 合 稚武王尊」社殿は西北に向くのは異国降伏の祈願か。佐賀県東松浦郡呼子町大字加部島字小浜3956


伊都国 いと

東南に陸行すること五百里にして伊都国に到る。
官は爾支(にき)、副官は「泄謨」、「柄渠」。
戸数は千余戸。 一大率の駐在地である。
筑前怡土 志登神社[しと]「豐玉姫命」この神社の南側の旧怡土郡の海岸線に沿って弥生遺跡が並び、志登には前期の支石墓郡がある。福岡県糸島郡前原町大字志登82

筑前怡土 高祖神社「天津日高彦火火出見尊 ほか」福岡県糸島郡前原町大字高祖1240

志登支石墓群 歴史散歩117

曽根遺跡群 歴史散歩120

二丈町曲り田遺跡(最も古い製鉄遺跡) 徐福116


奴国 な

東南して奴国に至るは百里。奴は広場である。
官は「」奴国のは難升米に通じる。副官は卑奴母離。
戸数は二万余戸。福岡市である。


筑前那珂 志賀海神社[しかうみ]「底津綿津見神、仲津綿津見神、表津綿津見神」筥崎宮の沖つ宮。福岡県福岡市東区志賀島字勝山877  

筑前那珂 筥崎宮[はこざきぐう]「應神天皇 配 神功皇后、玉依姫命」奴国王家の祀った社、安曇氏の本貫地。筑前の一の宮。幾つかの石鳥居を通して志賀島が先端をのぞかせる。丁度、金印の出土地を指している。 福岡県福岡市東区箱崎1丁目22-1

筑前那珂 住吉神社「底筒男命、中筒男命、表筒男命」かっての筑前の一の宮。福岡市博多区住吉3-1-51

筑後三井 高良大社[こうら]「高良玉垂命 配 八幡大神、住吉大神 合 豐比淘蜷_」筑後の一の宮。高良山は筑後の要衝に位置する霊山である。神社は西斜面を巡る神籠石の最後部近くに鎮座する。山に至聖の霊地が三カ所ある。 第一は水分神社で奥宮とされる。第二は神籠石である。第三は味水御井神社で、朝妻の泉と呼ばれ、神体石がある。本来は水分神であった可能性がある。 福岡県久留米市御井町1

筑前糟屋 太祖神社「伊邪那岐神」福岡県糟屋郡篠栗町大字若杉字石ヒシキ1047 歴史散歩79

筑前早良 飯盛神社「伊弉冉尊」福岡市西区飯盛609 歴史散歩106


不弥国 ふみ

東南して不弥国に至るは百里。曾彌族のいた曾根崎で、富美の長髄彦の祖先の地である。
官は多模(たも)、副官は卑奴母離。
戸数は千余家。宗像郡福間町である。


筑前宗像 宗像大社沖津宮[むなかたたいしゃおきつみや]「田心姫神、配 湍津姫神、市杵嶋姫神」沖の島は不言島[おいわずのしま]と言い島のことは絶対口外してはならず、一本一草とも島外へ運び出せば禍を招くとされていた。今日でも女人禁制である。神殿の周囲には累々と巨岩がある。航海の目印として貴重である。 福岡県宗像郡大島村沖ノ島2988

筑前宗像 宗像大社中津宮[なかつみや]「湍津姫神 配 田心姫神、市杵嶋姫神」福岡県宗像郡大島村大岸1811

筑前宗像 宗像大社辺津宮[へつみや]「市杵嶋姫神 配 田心姫神、湍津姫神」福岡県宗像郡玄界町田島2332宗像大社

筑前宗像 宮地嶽神社「息長足比賣命」福岡県宗像郡津屋崎町大字宮司1304

筑前遠賀 岡湊神社「大倉主命、菟夫羅媛命」福岡県遠賀郡芦屋町船頭町12-48

筑前遠賀 高倉神社「大倉主命、菟夫羅媛命など8神」福岡県遠賀郡岡垣町高倉1113 歴史散歩57

 南して投馬国に至るには水行すること二十日。



投馬国 つま
 官は弥弥、副官は弥弥那利。
 五万余戸。
 投馬国を但馬国に比定すると、船が着いた港は城崎になる。出石湾である。石見、出雲、伯耆、因幡、但馬、丹波の戸数を合わせれば五万余戸にはなろう。あわせて投馬国と理解する。
 耳(ミミ)という名の人物や地名が日本海に面した山陰地方に多く、転々と痕跡を残している。*3


隠岐
隠岐知夫 由良比女神社[ゆらひめ]「由良比女命」祭神は海童神、須世理比売命とも言われる。隠岐国の一宮。海上安全守護の神として遣唐使や使節を遣わす時、新羅の賊兵を防ぐなど大陸交通の要点として隠岐の国の諸神とともに朝廷に尊崇せられ、一般世人にも信仰された。島根県隠岐郡海士町西ノ島町浦郷922

隠岐隠地 天健金草神社[あまたけかなかや]「大屋津媛命、抓津媛命、譽田別命」女神は五十猛命の妹神。摂社に幣之池神社「抓津媛命」がある。隠岐の一の宮。島根県隠岐郡都万村大字都万4245-3


石見 岩の洞窟である。
石見安濃 静間神社[しずま]「大己貴命、少彦名命」静の窟。大汝少彦名(おおなむちすくなひこな)のいましけむ志都(しづ)の石室(いはや)は幾代経ぬらむ(万葉集355)島根県大田市静間町垂水1765

石見安濃 物部神社[もののべ]「宇摩志麻遲命 配 饒速日命 ほか」石見の一の宮。御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。 御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り各地の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎されました。次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山(つるぶさん)に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。島根県大田市川合町1545

石見安濃 佐毘賣山神社[さひめやま]「大己貴命、少彦名命、須勢理姫命」佐毘賣山は三瓶山の古名である。(万葉集1247)大汝少御神(おおなむちすくなみかみ)の作らしし妹背の山を見らくしよしも と詠われている。 多くの神話伝説がある。死体化生型の伝承「ソシモリにオオゲツヒメと言う五穀の神がいた。荒ぶる神に斬り殺されたが、その時体の各部から馬や麦を生じた。末子のサヒメは赤雁に乗り、比礼振山にとまり、さらに三瓶山に来てその種を播き殖産につとめたと言う。 この説話はモルッカ諸島にもある穀物生成物語であるが、荒ぶる神を素盞嗚尊とし、五十猛命ほかがソシモリから木種を持ち帰る話など、複合している。 島根県大田市三瓶町多根305


出雲 良い景色の原である。
出雲意宇 熊野大社「櫛御食野命」出雲一宮・日本火出初社。銅鐸出土。風土記での大社はここ熊野と杵築の二社である。大神は更に佐太、野城の四大神である。 出雲国造神賀詞には「伊射那伎乃真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」の神名である。出雲の一の宮。島根県八束郡八雲村大字熊野字宮内2451

出雲意宇 八重垣神社[やえがき]「素盞嗚尊、櫛稻田姫命 合 大己貴命、佐久佐神社の青幡佐久佐日古命」社名は「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」から。大原郡海潮郷須我から八重垣神社が佐草の地に進出し佐久佐神社を飲み込んだのであろう。社宝の板絵著色神像には「天照大神、市杵島比売命」「脚摩乳命、手摩乳命」「素盞嗚尊、稲田姫」が描かれている。島根県松江市佐草町字八雲床227 

出雲嶋根 佐太神社[さた]「佐太大神 配 秘説神四柱ほか」銅鐸出土。猿田彦神と同一視される。枳佐加比売が佐太大神を生む時の逸話として、流れてきた金の弓矢を暗い窟であることよと意って射放たれた。そのため貫通し光り輝いた。加賀の地名説話になっているが、佐太大神を太陽神とする理解もある。出雲でも相当早い時期に人が住み着いた所である。縄文早期の佐太講武貝塚や弥生の古浦砂丘遺跡がある。島根県八束郡鹿島町大字佐陀宮内72

出雲意宇 能義神社[のき]「天穗日命」風土記の四大神の一つ野城大神である。農耕を進め開発につくした神として崇められていた。島根県安来市能義町366

出雲意宇 揖夜神社[いや]「伊弉冉命、大己貴命、少彦名命、事代主命」出雲国風土記には[言屋社]と出ている。[イフヤ]は[イヤ]にかわり、[ユヤ]ともなる。祖谷、湯谷等の地名となる。意味は死者の国、霊の行き着くところであろう。古事記神代巻には伊賦夜坂に就いて記されている。島根県八束郡東出雲町揖夜字宮山2229

出雲大原 神原神社[かんばら]「大國主命、磐筒女命、磐筒男命」景初3年鏡三角縁神獣鏡。島根県大原郡加茂町大字神原字松井原1436 


伯耆
伯耆川村 倭文神社[しどり]「建葉槌命、下照姫命、事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命、味耜高彦根命」伯耆国の一ノ宮である。創立当時当地方の主産業が倭文(しづおり)の織物であったので、倭文部の祖神健葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたものである。 建葉槌命と下照姫命とをつなぐ記録はないが、当社周辺には下照姫にまつわる伝承が多い。鳥取県東伯郡東郷町宮内754

伯耆川村 波々伎神社[ははき]「八重事代主命、天稚彦神、下照姫神、少彦名神、建御名方神、味高彦根命」八重事代主命は当社西方「ワタラガヒ」の地に上陸され当地方の開拓殖産に務めた。其の荒神魂は青柴の巻籬内(今槙ケ木の字を充てる)に鎮まりました。鳥取県倉吉市福庭654

伯耆日野 楽楽福神社「蟹梟帥」祭神は福姫命となっている。鳥取件日野郡日南町印賀1494-1 b113

伯耆日野 楽楽福神社「大日本根子彦太瓊尊」七代孝霊天皇である。東西二社で一体の両社祭祀が古代形式である。鳥取件日野郡日南町宮内


因幡 荒れた平野である。
因幡巨濃 許野乃兵主神社[こののひょうす]「大國主神、素盞嗚尊」銅鐸出土。古来鳥居を寄進すると不幸がおこるとか倒壊すると言われ、今でも鳥居はない。兵主大明神と称し地域の兵主神の総社であったと言われる。 鳥取県岩美郡岩美町大字浦富686

因幡法見 宇倍神社「武内宿禰命」因幡国一ノ宮。本殿の後阜亀金岡の雙履石は祭神の雙履の霊石と伝わる。古代文化遺跡の中心地。祭神を因幡国造の祖彦坐王の子彦多都彦命、伊福部氏の祖武牟口命、埴安姫命とする諸説がある。 鳥取県岩美郡国府町宮下字一宮651


但馬 船着き場である。気比は粥、食膳である。
但馬城崎 気比神社「五十狹沙別命」銅鐸出土。兵庫県豊岡市気比字宮代286

但馬気多 気多神社[けた]「大己貴命」大己貴命、葦原志許男命(天日槍命か)と国占の争ありし時、命の黒葛此地に落ちたる神縁によりて早くより創立。総社気多大明神と称した。兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227

但馬気多 久刀寸兵主神社[くとすひょうず]「素盞嗚尊、大己貴命」兵庫県城崎郡日高町久斗字クルビ491

但馬城崎 小田井縣神社[おだいあがた]「國作大己貴命」崇神天皇の御代。大神は大昔、この豊岡附近一帯が泥湖であって、湖水が氾濫して平地のないとき、来日岳のふもとを穿ち瀬戸の水門をきり開いて水を北の海に流し、水利を治めて農業を開発されました。兵庫県豊岡市小田井町15-6

但馬朝来 粟鹿神社[あわか]「彦火々出見命」日子坐命との説もある。山陰道の粟鹿郷、粟鹿川左岸に鎮座、出石神社とともに但馬一ノ宮として崇拝。兵庫県朝来市山東町粟鹿2152

但馬出石 出石神社「出石八前大神、天日槍命」谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、祖神天日槍命を祀ったと伝わる。鉄の文化を大陸から持って来られた神である。兵庫県豊岡市出石町宮内字芝地99

但馬出石 大生部兵主神社[おおうべひょうず]「大己貴命」弘仁元年此地に兵庫を建て在庫の里と云ひ兵主の神を祀りて兵主神社と称せしが神社所在地の地名を冠し俗間に有庫兵主大明神とも称した。兵庫県豊岡市奥野字宮1

但馬出石 伊福部神社[いふくべ]「素盞嗚尊 配 天香山命、伊福部宿袮命」天平19年伊福部連其祖天香山命を祀ると言う。兵庫県豊岡市出石町中村809

但馬養父 養父神社[やぶ]「倉稻魂尊、大己貴命尊、少彦名尊、谿羽道主命、船帆足尼命」崇神天皇三十年創祀。三ノ宮。但馬牛の牛市の中心地に位置する。 摂社五社神社の五十猛命は牛取引の神とされる。 当初は弥高山全体が神体山であり、山頂に上社「保食神、五十猛神」、中腹の中社に「少彦名命」麓の下社に「丹波道主命、船帆足尼命」と但馬考には記されている。兵庫県養父市養父町養父市場字宮ノ谷827-3
但馬養父 更杵村大兵主神社[さらきむらおおひょうず]「祭神不詳」兵主神は大陸山東地方に祀られていた天主・地主な ど八神のひとつ。武を司る神で鉄を常食とする神であった。兵庫県朝来郡和田山町寺内字宮谷



 南して邪馬台国に至る、女王の都する所。水行すること十日、陸行すること一月。
但馬、丹後、丹波は、饒速日命と時として同一神とされている火明命を祖神とする氏族の支配した地域である。 従って、邪馬台国の主催者物部氏とは良好な関係にあったので、使節の護衛等も行いやすい道としてこのコースが選ばれた。


道順 城崎の気比から丹後半島を周り、宮津に水行すること十日。

邪馬台国へ、水行十日、陸行一月


*1 邪馬台国と大和(由良哲次)学生社
*2 大いなる邪馬台国(鳥越憲三郎)講談社
*3 古代の鉄と神々(真弓常忠)学生社
*4 青銅の神の足跡(谷川健一)小学館


邪馬台国への道 投馬国へ
邪馬台国への道 女王国へ
邪馬台国の神々
遠絶国と神々
狗奴国の神々
邪馬台国にようこそ
神奈備にようこそ