葛城二十八宿紀行

二十八品 小角が法華経を誦えながらこの峰を修行したとの伝説有。
二十八品を訪ねてこれを知るのではなく、己を知るための紀行でありたいもの。


根本道場 犬鳴山不動寺
序品 加太、友が島
第二品 泉州神福寺
第三品 紀州大福山
 紀州鳴瀧不動尊
第四品 泉州山中村
第八品 燈明ケ岳
第九品 和泉葛城山
第十品 牛滝山大威徳寺
第十五品 岩湧山
第十六品 流谷の里
第十九品 神福山
第二十品 石寺跡
第二十一品 金剛山湧出岳
第二十二品 大田和地蔵
第二十三品 猿目塚
第二十四品 平石峠
第二十五品 高貴寺
第二十六品 二上山
第二十八品 明神山と亀ヶ瀬

番外 三徳山三佛寺 投入堂など
生駒山鷲尾山興法寺


修験道
陰陽道、仏教、古来からの山岳信仰があわさった信仰の形。
原始宗教の咒術性と粗野な庶民性を持つ純粋な信仰。
古代から中世にかけて庶民の心の支え。現代でも民衆は求めているものがある。
罪と穢を人生すべての禍の根源と見る日本人固有の本能的信仰があり、これを取り除くには自らの肉体的苦痛であがなうしかないとの想い。
神道とは祓えの財物を神にささげて罪をあがない穢を祓うように進歩したもの。野蛮からの脱却。

大峯、石鎚、出羽三山、彦山、木曽御嶽、白山、立山、葛城山、岩木山

本朝七高山(承和三年(836)) 伊吹・比叡・比良・愛宕・神峯・金峰・葛木


役小角以前から修験はあったが、小角によって集大成されたとの伝承が生まれた。
小角の父 加茂間賀介
小角の母 渡部岐比売 亦の名 白専女シラトウメ
大和高田の奥田も生まれた土地との説がある 母 刀良売 トラメ
母は物部氏の娘だったとの説がある。

年表
舒明 六年 634 葛上郡茅原にて誕生
大化 二年 646 十三歳 毎夜葛城山に登り暁に帰る。
大化 三年 647 十四歳 諸法は皆これ空と悟り仏教に帰依
白雉 元年 650 十七歳 家を出て葛城山で修行
白雉 四年 653 二十歳 春 熊野から大峯−順峯の始め
白雉 四年 653 二十歳 秋七月 金峯山から熊野−逆峯の始め
天智 十年 671 三十八歳 山上にて蔵王権現を感得
天武 二年 673 四十歳 金剛山寺を建てる
持統 九年 695 六十二歳 一言主神に石橋の工事を命ず。
文武 三年 699 六十六歳 伊豆大島へ配流
大宝 元年 701 六十八歳 母と共に昇天 後大唐に渡る
寛政十一年1799 光格天皇から神変大菩薩の贈名を賜う

役行者と左から前鬼後鬼




山駆念仏 六根清浄、大願成就、お山は晴天、お山御繁盛、懺悔々々、慚愧懺悔、なんまいだんぼ なまいだ 等々


一根不清浄  なんのこっちゃ おぬしのこっちゃ

二十八宿
オノゴロ島から大和川の水運の拠点まで
多分鴨族が上陸して東進、葛城の地に至る物語があったのだろう。

和泉山系

二上山金剛山系

葛城の神仙
土蜘蛛の跋扈した土地
雄略天皇の時代に一言主神が出現。
神が土佐に流されたと云う。また戻ったとも云う。
一言主神を役小角か呪縛したと云う。小角の役は「人偏の役の公:えだち」、神に仕える霊能力者。
斉明元年 鬼が生駒へ飛ぶ。
天武九年 麒麟の角を発見、献上さる。
天武十三年 四つ足の鶏が現れる。


葛城九十五の霊場有
二十八宿の中の五十四の霊場有

参考資料

宮家準『修験道思想の研究』 、三浦茂樹『葛嶺雑記』、銭谷武平『役行者電機集成』、五来重『山の宗教−修験道』、中野栄治『葛城の峰と修験の道』






葛城二十八宿紀行

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